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北海道大樹町が進める「宇宙」産業への誘致 人口増も実現したまちづくりとは?

» 2024年02月07日 08時00分 公開
[河嶌太郎ITmedia]

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 さまざまな自治体が企業誘致に取り組む中、新しい産業を誘致している自治体がある。北海道十勝地方にある人口5000人ほどの大樹町だ。大樹町は東と南が太平洋に面した立地を生かし「宇宙版シリコンバレー」構想を打ち出している。40年前からJAXAや国の研究機関と連携しながら、国内有数の宇宙開発の拠点であり続けてきた。

 そんな中2008年の「宇宙基本法」施行を機に、民間の宇宙開発が可能に。宇宙開発の“民営化”時代が到来し、大樹町は国の「実験誘致」から民間の「企業誘致」へと舵を切り替えた。13年にはインターステラテクノロジズ(以下、インターステラ)が大樹町に設立された。インターステラはホリエモンこと堀江貴文さんが出資する企業で、19年5月には宇宙空間への民間ロケット打ち上げを日本で初めて成功させた。

 なぜ、大樹町は宇宙産業の誘致を半世紀近くも続け、宇宙開発の拠点であり続けたのか。宇宙の町として大樹町はどう変わっていったのか。大樹町の黒川豊町長に聞いた。

大樹町の黒川豊町長 

40年前に「宇宙の町」として売り出す

――黒川町長は、大樹町職員の頃から宇宙関連の誘致に関わっていました。これまでの大樹町の企業誘致の経緯を教えてください。

 大樹町と宇宙開発の関わりは、約40年近く前にさかのぼります。1985年ころ、日本は宇宙開発に躍起になっていた時代がありました。この年は毛利衛さんが日本人初の宇宙飛行士に選ばれた年で、日本でもロケットの開発が進んでいました。

 米国は当時スペースシャトルの開発に注力していて、日本もこれと同じようなものを開発しようとしていました。まさに日本も宇宙開発時代を迎えており、ロケットの発射場や、日本版スペースシャトル「HOPE」の発着場を作る動きが出てきたのです。国内でその適地を探していたのですが、84年に北海道東北開発公庫(現・日本政策投資銀行)が発表した「北海道航空宇宙産業基地構想」で、東と南が太平洋に面している大樹町に白羽の矢が立ちました。

 これを受けて、当時の大樹町長たちが宇宙科学研究所などの研究機関に「ぜひ十勝に」と実験を誘致したのが始まりでした。当時私は町役場に入りたての若者でしたが、その誘致活動を微力ながら手伝っていました。

――今では大樹町にJAXAの「大樹航空宇宙実験場」をはじめとする研究開発施設がありますが、大樹町とJAXAとのつながりは40年近く前からあったわけですね。

 JAXAは当時、宇宙科学研究所と航空宇宙技術研究所、宇宙開発事業団の3つに分かれていたのですが、このいずれの機関や関係省庁にも誘致活動をしていました。この活動の後方支援に私も携わっていました。そしてこの3つが2003年に統合され、JAXAが誕生するわけですが、その後も私は宇宙関連機関の誘致活動に10年以上関わっていました。

――当時の宇宙開発はまさに国がやるものだったわけですが、今では民間でも宇宙開発が盛んです。実際にインターステラをはじめとする民間宇宙企業も大樹町に拠点を置いています。転機はなんだったのでしょうか。

 08年に「宇宙基本法」が施行したのがきっかけでした。これは、それまで国しかやっていなかったロケットの宇宙輸送を民間がやってもよいというものです。そのために、国としてルールを制定したのが宇宙基本法で、それに付随して「宇宙活動法」や「宇宙基本計画」もできました。

 これで潮目が変わりまして、民間企業が大手を振ってロケットを打ち上げられる環境になりました。そこから宇宙開発ベンチャーの活動が活発になってきました。

――町民にとっては、宇宙開発はどんな存在だったのでしょうか。

 1985年に十勝に宇宙基地ができるかもしれないという話が来たとき、町民がすごく湧いたのを覚えています。というのも、当時の北海道の経済は、農業や漁業はよいのですが、産炭や製紙をはじめとするさまざまな産業が衰退していた中でした。ですから期待は高かったのです。

 宇宙開発の青少年向けの啓蒙団体として「日本宇宙少年団」が86年に設立され、当時は松本零士さんが理事長を務めていました。大樹町にも「宇宙少年団大樹分団」を作りまして、子どもたちに宇宙のことを教えたり、夢を語ってもらったり、宇宙に関する絵を描いてもらったりといった活動を今も続けています。80年代後半には、子どもたちをケネディ宇宙センターがある米国のケープ・カナベラルに連れて行くこともしました。

――95年には「大樹町多目的航空公園」が完成し、1000メートル滑走路の供用が始まります。98年には舗装化もされ、さまざまな実験で使われるようになります。

 米ソ冷戦が終わったことで世界的に宇宙開発競争が下火になったのもあり、90年代の宇宙開発は一時の勢いをちょっと失っていました。その間も大樹町は、その立地条件の良さには自信がありますから、いつか絶対ここに宇宙基地ができると信じて取り組んでいました。

 大樹町に宇宙開発用の滑走路ができたことで、JAXAが滑走路を使っていろいろな実験をやってくれるようになりました。これを機にJAXAとの交流も深まり、飛行船の実験も行われました。その後は大気球実験が毎年夏に大樹町で実施されるようになり、JAXAとの深い関係が今でも続いています。

――JAXAとの関係が既にあるにもかかわらず、今ではインターステラという日本の民間を代表する宇宙開発企業の拠点も大樹町にあります。民間の誘致はどのような流れからだったのでしょうか。

 JAXA以外では、2001年に東京の都立科学技術大などがハイブリッドロケットの実験を大樹町で実施し、日本で初めて成功しました。翌02年には、北海道大を中心とするグループがCAMUI(カムイ)型ハイブリッドロケットの打ち上げに成功しています。こうした実験は何年も続きました。

 その当時、堀江貴文さんをはじめとするインターステラの前身は、千葉県鴨川市で小さなロケットの開発をしていました。当時は「なつのロケット団」という名称で、サークルのような集まりで研究開発をしていました。

 ただ、ロケットの開発が本格化すると打ち上げ時の騒音問題などが浮上し、射場を探していました。そこでカムイ型ロケットの開発をする赤平市の植松電機さんと一緒に研究開発をするようになり、そのつながりでカムイ型ロケットの射場として既に使用していた大樹町の射場を、堀江さんたちも使うようになりました。これが09年ごろの話です。

――その後、13年に大樹町でインターステラが設立します。インターステラは民間では国内最初期からロケット開発に取り組んでいる企業ですが、大樹町の民間企業の誘致でも初めてだったのでしょうか。

 そうですね。大樹町でインターステラが立ち上がったので、社屋として元農協の空き店舗を紹介したことがあります。今では自社で社屋を持っていますが、インターステラはそこから始まりました。

――今では民間を中心に何社ぐらいの宇宙企業が大樹町に拠点があるのでしょうか。 

 今ではインターステラをはじめ、SPACE COTAN(スペースコタン)、日本旅行、釧路製作所、室蘭工業大学、インフォステラの6社が大樹町に拠点を置いています。インターステラとスペースコタンの2社は本社機能も大樹町に置いていますが、それ以外はサテライトオフィスを町内に設置しています。

――こうした企業が大樹町内に入ってきた結果、人口が増えるなどの影響はあったのでしょうか。

 インターステラが22年に社員を大幅に増やしたことや、農業関係の転入も重なり、最終的に町の人口が18人増えました。日本全国が人口減社会を迎えている中、人口が増えたのは異例だったと思います。

 23年はインターステラの採用数も落ち着いたのと、たまたま亡くなる方が多かったこともあり、人口減に再度転じています。

――黒川町長は23年5月に町長に就任しました。まだ9カ月あまりという期間ですが、これまでどのような政策に取り組んできましたか。

 重点政策として公約に掲げていた子育て支援にはすぐに取り組んでいます。宇宙分野では、3年計画で進めている北海道スペースポート拡充整備事業の2年目としての計画を予定通り進めてきました。

北海道スペースポートの将来イメージ

――企業誘致をして若い人が外から入ってくると、結婚をして子育てをする人が増えることになります。子育て支援と企業誘致は切り離せない関係にあるわけですが、どのように相乗効果を生み出していきたいですか。

 私も生まれ育ったこの大樹町で子どもを産み育てるのがよいと思えるようにしたいのが政策の動機です。ただ、子育て支援だけで見ると、支援が強力な町は結構あります。ここはどうしても自治体の財政力の差が出てしまいます。大樹町はその点では不利で、背伸びしたことはなかなかできません。

 こうした中でも、それまで中学生までだった医療費無償化を高校生まで引き上げました。他にも、給食費を2人目以降は半額にするといった軽減措置をまず実施しました。これは就任前から進めていた計画ですが、保育所も新しくなりました。

 今後は公園整備も進めていく予定なのですが、大樹を住環境の住みやすい町にしていきたいですね。インターステラが社員を増やした時に、新入社員の若者に「大樹に行くのは嫌だ」と思われないように。「大樹町なら行ってもいいかな」といわれるような町にしていきたいと思っています。

左から東京建物 取締役常務執行役員 神保健氏、黒川町長、SPACE COTAN 取締役兼CMOの中神美佳氏

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