そして、次の一歩を踏み出す……
坂口と松下のミーティングは、結局20時過ぎまで続いた。松下は、坂口と一緒に経費処理に内在する課題を認識した。自席に戻ると、浜崎課長が心配そうに坂口を上目遣いに見た。坂口は両手を振って「ご心配なく」というジェスチャーをした。今日は2つの収穫があった。1つ目は松下とひとまず和解をしたこと、そして、2つ目は松下に改善意識を芽生えさせることができたことだ。坂口は、経費処理の改善企画書に一文を追加することにした。
〜なお、本企画は新営業支援システムで実現する機能の1つとして搭載することとしたい。取り急ぎ、ツールによる試行を開始するが、既存の事務処理フローは当面存続させ、現状の課題を十分洗い出す必要があると考える。当該システムの基本要件検討メンバーとして、松下真樹チーフアシスタントを強く推薦する〜
出来上がった企画書は、明日課長に説明しよう、と坂口は思った。オフィスを出たのは、すでに21時を回っていた。もうこんな時間だから、つながらないだろうと思いつつ、豊若からもらった名刺に書いてある恵比寿のオフィスに電話をしてみた。
豊若 「はい、マキシム・アンド・コンサルティングです」
クールで落ち着いた豊若の声だった。
坂口 「豊若さんですか? 坂口です」
それから30分後、坂口は豊若と恵比寿駅に近いホテルのバーラウンジで酒を飲み交わしていた。坂口は、今日の成果の報告と豊若への感謝の意を表明していた。豊若は心から祝福し、とっておきのマッカラン25年を坂口にごちそうした。
豊若 「おい、そんなにぐいぐい飲むな。もっと味わって飲め。こう、舌で転がしながらな……」
坂口 「豊若さんのアドバイス、効きましたよ!何か、目が覚めた気がします。結局、あのツールはお蔵入りになるかもしれませんが、そんなことより、何ていうか、もっと大きなテーマが見えてきました!」
豊若 「大きな改善と小さな改善、どちらも大事なものだ。一度にすべてをやろうとせずに、大きな改善はチャンスをうかがえ。小さな改善は地道に取り組め。何かきっかけを作れば、物事は動き始める」
坂口 「はい!分かりました」
豊若 「君が担当することになった、新営業支援システムは、かなり難題が待ち構えているはずだ。まずは社長の気持ちをよく理解することだ。何をやりたがってるかをな。恐らく『ちょっと違うな』と感じることがあるはずだ。いまの社長はサンドラフトサポートを親会社と同じレベルでIT化しようとしている。しかし、本来ならば、サンドラフトサポートの規模や営業実態に合わせたシステムにしないと、まるっきり無駄な投資になるはずだ。まずは、企画立案のときに目的をよく把握するんだ。それが不条理なものでないかどうかをな」
坂口は、豊若の一言一言を頭で反すうしながら、胸に刻んだ。自分がこれからやろうとしていることが、とてつもなく大きなことのように思えて、少し身震いした。
豊若 「君がその気なら、私も協力できることはしたいと考えている。君は私の分身のようなものだからな」
坂口 「それはどういうことですか?」
豊若 「いま、君たちが使っている、いや、あまり使っていないグループウェアの導入プロジェクトに私は携わっていたんだ。何でもかんでも電子化だペーパーレスだ、と勢い付く役員を押さえ付けて、何とか実用的な機能に絞り込んで開発コストを抑えたんだが、メールと掲示板程度では満足しないお偉方が、結局それでは納得できなくて、失敗プロジェクトだと評価したんだ。あれだけ導入研修をきちんとやって、軌道に乗せられたんだ。私は少なくとも立ち上げは成功したと考えている。ただし、導入後のフォロー体制は完ぺきではなかった。会社が人や予算を付けてくれなかったからだ。いまでも使いこなしてくれているのは、君のいた仙台支店くらいだろう」
坂口 「そうだったんですか。うちのグループウェアは、私にはとても使いやすくて、東京本社ではどうしてみんな使わないんだろうと不思議に思っていたんです」
豊若 「まあ、今日はお祝いだから、これくらいにしておこう。私の話は暗いからな」
豊若は、笑いながら坂口のグラスに自分のグラスを当てると、乾杯のしぐさをした。坂口は、これから始まるプロジェクトに期待と不安が入り交じっていたが、豊若が自分に可能性を見いだしてくれていることを感じて、酔いではなく、何か熱いものが体の中からわき上がってくるのを感じていた。
◆次回予告◆
上級シスアドの豊若のアドバイスを受け、松下とキチンと話し合った坂口。その結果、松下と和解し、さらに経費精算の課題を共有することもできた。坂口は手ごたえを感じつつも、豊若から新たな目標を得る。次回は、坂口が営業現場の状況に直面し、社長の思いとのギャップを知ることになります。さらには顧客とのトラブルも発生し、……困難が続く坂口の様子をお届けします。
東京本社・営業1課 メンバー構成
課長 浜崎 雅則(はまざき まさのり) 43歳
課長代理 江口 章輔(えぐち しょうすけ) 38歳
主任 椎名 純平(しいな じゅんぺい) 33歳
主任 坂口 啓二(さかぐち けいじ) 30歳
チーフアシスタント 松下 真樹(まつした まき) 35歳
アシスタント 谷田 亜紀子(たにだ あきこ) 26歳
アシスタント 水元 優香(みずもと ゆうか) 24歳
営業部 部長 田所 譲司(たどころ じょうじ) 50歳
上級シスアド 豊若 越司(とよわか えつし) 38歳
profile
シスアド達人倶楽部
「シスアド達人倶楽部」は、経済産業省が実施する情報処理技術者試験の1つ、上級システムアドミニストレータ試験の合格者5名で構成される執筆チーム。本連載「目指せ! シスアドの達人」は、シスアドの日常を知り尽くしたメンバーが、シスアドの働く現場をリアルに描くWeb小説だ。
執筆メンバー5名は、上級システムアドミニストレータ試験合格者と試験合格を目指す人々で構成される任意団体:上級システムアドミニストレータ連絡会(JSDG)の正会員。
山中 吉明
上級システムアドミニストレータ連絡会・副会長
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