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さよなら白熱電球、東芝が製造中止式典

» 2010年03月17日 21時05分 公開
[芹澤隆徳,ITmedia]
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 東芝ライテックは3月17日、栃木県・鹿沼工場で一般白熱電球の製造を終了する「一般白熱電球製造中止式典」を催した。消費電力の低いLED電球への切り替えを進める同社は、2008年4月に「2010年度をめどに一般白熱電球の製造を中止する」と宣言。それを約1年間前倒しで実現したかたちになる。「CO2削減の大きな“最初の一歩”を踏み出した」(東芝の佐々木則夫社長)。

photo 東芝の佐々木則夫社長(左)と東芝ライテックの恒川真一社長(右)

 式典であいさつに立った東芝ライテックの恒川真一社長は、集まった従業員と報道関係者を前に、「東芝のルーツの1つである白熱舎(後の東京電気、東芝の前身)が日本初の炭素フィラメント電球を製造してから120年。人々の暮らしを照らし続けてきた白熱電球は東芝の誇りだ」と語った。「そして今日、新しい東芝の歴史をスタートする」。

 製造ラインでは、最後の白熱電球の検品作業が終了。担当作業員から鹿沼工場の小田工場長に手渡された。その後、工程ごとに製造機械の電源が切られ、工場長が全ラインの停止を確認。静寂に包まれた工場の中、40年に渡って白熱電球を作り続けてきた製造ラインに従業員全員が頭を下げた。

photophoto 最後の1つの検品が終了すると、担当作業員から鹿沼工場の小田工場長に手渡された(左)。1970年から40年に渡って稼働していたという製造ラインに一礼(右)
photophoto 式典には、東芝のイメージキャラクターを務める女優の天海祐希さんもビデオレターで登場。「120年間、わたしたちの生活を照らし続けてきた白熱電球にありがとう。そして、おつかれさま」(天海さん)

 創業者の1人である藤岡市助博士が1890年に「白熱舎」を設立し、日産10個程度でスタートしたという東芝の白熱電球事業。最盛期(1973年)には年間7800万個を生産し、現在までに累計でおよそ40億7000万個を出荷している。しかし、オイルショックを機に省エネ機運が高まると、1980年に世界初の電球形蛍光ランプを開発。さらに2006年からLED電球を展開するなど、徐々に白熱電球から軸足を移してきた。かつて6本あった白熱電球の製造ラインは1本だけとなり、その最後のラインも動きを止めた。

photophotophoto 東芝と電球の歴史(左)。明治初期の電球も展示されていた(中)。左からタングステン電球、現在の白熱電球、LED電球(右)

 製造中止を決めたきっかけは、2008年の「洞爺湖サミット」を前に当時の甘利明経済産業大臣が“2012年までの製造中止”を提案したこと。佐々木社長は、「日本初の電球を作った東芝だからこそ、どこよりも早く一般白熱電球の製造中止を決断した。二酸化炭素排出量を減らすだけではなく、“トリガーを引く”ことで環境対策を加速させたい」と話す。仮に日本の全世帯が白熱電球をLED電球に置きかえると年間で約1400万トン、東芝が製造している数量を置きかえただけでも年間約43万トンの二酸化炭素排出量削減効果があるという。

photophoto 「二酸化炭素排出量を減らすだけではなく、“トリガーを引く”ことで環境対策を加速させたい」と佐々木社長(左)。製造中止になる製品の数々(右)

 一般白熱電球の製造中止により、「ホワイトランプ」や「クリヤーボール」など103種の販売が終了。これは白熱電球に分類される製品の4割にあたる。一方、ハロゲンランプや反射形電球など、代替照明のない特殊電球については当面製造を継続するが、「今後もLEDや有機ELを使った照明の開発を加速し、白熱電球からの置きかえを進める」(佐々木氏)。

photophoto 東芝ライテック鹿沼工場。敷地内には「白熱舎」を設立した藤岡市助博士の像もある

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