ITmedia NEWS > 科学・テクノロジー >

第3章-2 「親しみやすい」ロボットとは 記号論理の限界と芸術理論 中田亨博士の試み人とロボットの秘密(2/2 ページ)

» 2009年05月26日 16時01分 公開
[堀田純司,ITmedia]
前のページへ 1|2       

 彼はいかなる身体運動でも、体、時間、空間、筋肉のエネルギーの区分の組み合わせとして分析できると提起し、意味と動作を関連づけ、実際に広く人間の運動の研究を行う。そして舞台上の演技が、ただの身体的な「芸」として、型の訓練であることを否定した。

 そのうえで、動作を記号的に分析し、あらためて「その動作はなにを表現しているのか」と、動作の意味をつきつめた。

 ラバンの研究は芸術分野のみならず、より効率的な労働環境をデザインする産業労働分野や、動作によるセラピーの研究にまでおよび、しかも具体的に労働効率のアップなど成果をあげている。また現代ではCGキャラクターの動作生成など、新しい利用法も生まれている。

 実はこのラバンの、動作が表現する意味を理論化するという発想には先駆者がいた。それは進化論の祖、チャールズ・ダーウィンである。

 ダーウィンは『人及び動物の表情について』という著作を発表し、生物一般の感情表現について研究を残しているが、その中で「すべての動物が共通の先祖から徐々に変化してきたという進化の概念を受け入れれば、表情についても新しい視野が開ける」と指摘。人間と他の動物が、独立無関係であると考えるべきではないと述べていた。

 ダーウィンによると、動物の動きにはふたつのプロトタイプがあり、ひとつは攻撃の形。これは実際の戦闘動作の模倣で、体に力を入れて大きく広げる方向。そして、その対極が服従の形。こちらは攻撃形態の反対で、脱力して体を縮こまらせる形をとる。

 ラバンは、このダーウィンが考察した形態と感情表現の関係を、さらに詳細に分析した。そして、身体動作が、体の中心にひきよせる「集まる」方向の動作と、体の中心から押し出す「散る」という動作のふたつの基盤から成り立っていることを発見したのである。

 中田博士は、このラバンの理論を取り入れてペットロボットを動かし、そしてその印象を被験者に「喜怒哀楽でいうと、どの感情にあたるか」「そしてその強さは大中小どれぐらいか」と、確認する実験を行った。その回答の分布は、ほぼ舞踏表現の理論に一致するものだったという。であれば表現したい感情は、かなりの部分まで「どの関節にどれくらい力を入れて、どう動かせばよい」と数値で定量化して計算できることになる。

 人間の感情表現といってもそれは複雑で、同じ動作の解釈でも、見る人自身の感情、体のコンディション、共有する文化の違いなどで受け止め方もかわるものと感じていたのだが、意外とそうでもないようなのである。

 博士はこのように語る。

 いや、「人間は難しいよ、複雑だから」とは思うのですが、しかし人間も動物である以上、動物と同じように、複雑な事例を本能的にシンプルなルールでこなしている部分もあります。

 もちろん人間のコミュニケーションはより複雑で、その一瞬一瞬のふるまいだけではなく、それまでの自分の行動の履歴やコミュニケーションの文脈のように、言語記号による記録を参照しながら行う軸がある。

 こうした記号論理を使えるのは哺乳類以降だと言われていて、たとえば犬に「お座り」というと座る。これは座るという記号と実際の動作を、関連付けて把握しているわけですが、これは鳥類になると難しいと言われています。より人間に近いモデルをつくるためには、確かにこの記号論理の研究も重要です。

 しかし、その一方で記号論理を使わない動物たちが、意外と簡単なルールでコンピューターよりはるかに上手に行動しているでしょう。

 だから人間の行動を再現するためには、「人間はある過程でこのような記号論理の操作を行ったから、そのプロセスをプログラムとして書けばいいんだ」というアプローチでは、実は限界があるのではないかと感じます。

画像 中田博士が実験で使用したぬいぐるみ。高度なギミックを持ち、見た目以上に生々しい動作をこなす

 中田博士は「頭をなでると手足をふってよろこびを表現する」「逆に押さえると手足を縮める」という規則をペットロボットに用意し、その規則を「(1)100パーセント規則どおりに動作する」「(2)50パーセントの確率で規則を守る」「(3)規則を無視してランダムに動作する」と3つのパターンに割り振った。

 そしてそのロボットを人に見せて「もっとも“知的な印象”を感じるのはどのパターンか」と反応を確認したところ、やはり知的な印象を与えたのは(1)の、規則どおりにふるまうパターンだった。しかし、では(1)の反応をつねにペットロボットにとらせればいいのかというと話は別で、質問を「もっとも“かわいい印象”をあたえるロボットはどれか」と変更すると、おもしろいことに人間の回答は、全部規則どおりの(1)のパターンから、完全にランダムな(3)のパターンにまで分裂してしまうのである。

「西洋近代科学による記号論理では、実は現実の現象のごく一部分しか記述できない」と中田博士は指摘する。ニュートン力学の運動方程式でも、実はそれが使えるのは世界のごく一部。一歩現実に踏み出して、たとえば目の前の木の葉がどこに落ちていくかを予測しようとしても、カオスになって予測不可能になる。また動物やウィルスが、次世代にどれだけ子どもを残すか。これを計算しようとするとカオスになって、やはり予測不可能になる。

 もちろん、人間だけしか持っていない高度な記号論理の能力というものはあって、この研究も大事です。しかし人間の行動において記号論理の領分は、実は例外的な現象なのではないか。ふだんの日常生活で現れる喜怒哀楽は、それほど犬や猫など他の生き物と違わない。だいたいの行動の原理は共通しています。

 我々はエンジニアですから、たとえば「理学部生物学科」として生命を究極的に研究しているわけではないんです。

 しかし動作が発する感情表現についての理論を、実際にロボットに適用することで研究し、その結果、無機質で無味乾燥だった機械に、より親近感を感じさせることができるかもしれないと考えて取り組んでいます。たとえば、もしこのモデルを手に入れることができれば、ゲームのキャラクターに応用して、今までにない、よりリアルで生き物らしい動きをするキャラクターをつくることができるでしょう。工業製品に応用すれば、より人間にとって親しみやすく使いやすいものをつくることができます。

 今までの工学は、基本的に記号を駆使して、論理の正確を期する発想で進んできた。しかし、同じ工学でも、人間を対象にする分野では、正確さよりも、おおざっぱでいいから役に立てばいいという考え方もあるのだという。

 たとえばインターネットの検索技術。初期の人工知能研究では、人間の質問に対して、機械が言語理解を行い、厳密にデータベースを検索して、回答を出す技術を理想としてきた。しかし現在、普及しているインターネットの検索技術は、もっとおおざっぱなもので、基本的には検索用語のマッチングだけを考えページを表示する。しかしこれが大いに人間の生活の役に立っているわけである。

 振り返ってみると、我々生物の長い歴史の中で、記号を操作する能力を得たのはつい最近のことだった。我々人間は記号を操作する能力を磨き上げ、類をみないほど複雑な脳を持った生物へと進化してきたが、実は、記号論理を持たずに生活していた時間のほうが長いのである。だから、記号は私の一部でしかなくとも、不思議ではない。

 記号を操作する「わたし」は、どうやら私の一部でしかないのではないか。一見、突拍子もなく見えるこの知見は、実は、現代の認知心理学が導き出しつつある意識モデルとも、共通している。

人とロボットの秘密(Amazon.co.jpの販売ページ)

→次回:第4章-1 「意識は機械で再現できる」 前野教授の「受動意識仮説」

堀田純司

 ノンフィクションライター、編集者。1969年、大阪府大阪市生まれ。大阪桃山学院高校を中退後、上智大学文学部ドイツ文学科入学。在学中よりフリーとして働き始める。

 著書に日本のオタク文化に取材し、その深い掘り下げで注目を集めた「萌え萌えジャパン」(講談社)などがある。近刊は「自分でやってみた男」(同)。自分の好きな作品を自ら“やってみる”というネタ風の本書で“体験型”エンターテインメント紹介という独特の領域に踏み込む。


前のページへ 1|2       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.