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あなたは「人材」? それとも「人財」? 字面で魂は救われるのか小寺信良のIT大作戦(3/3 ページ)

» 2021年12月06日 10時00分 公開
[小寺信良ITmedia]
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辞書の神通力はいつまで残るか

 「子供・子ども戦争」の話は脱線のように見えるかもしれないが、要するに歴史的経緯や語源を無視して、字面(じづら)が気に入らないというだけで表記を入れ替えると、後々もめたときに大変、ということなのである。そもそも「子供・子ども戦争」がこれほどまでにもめたのは、どういう意図があってこどもに「供」という字を当てたのか、経緯が見つからないからだ。

 言葉や表記は、時代に応じて変化するものだ。多くの人が誤用するようになれば、そっちの方が正しくなる場合もある。そしてその経緯までちゃんと記録してくれるのが、辞書の役割でもある。例えば「一生懸命」は、正しくは「一所懸命」(1つ所に命をかける)であることは、辞書にちゃんと書いてある。そこでわれわれは、「一生懸命」(一生に命をかける)は「うん、それはみんなそう」なので意味がない字面であることを知るのである。

 三省堂国語辞典では「人財」について、「人材」の項に『「財産である人」の意味で「人財」とも』と加筆したというが、これで「同じ意味で使うのに字面を嫌って当て字を変えた」ことが十分伝わるのか。そして「人材」と書くのは誤りで、むしろ人権侵害みたいな捉えられ方に曲解する者が出てきて、それで後世、100年後とかにまたもめるのではないかと、とても心配である。100年後には筆者も読者諸氏もこの世にはいないので、今こうして言葉が変わっていったときの空気感を説明できない。

 そういうことだから辞書に経緯が載る意義がある、と主張したいところだが、今の状況をよく考えてみて欲しい。あと100年後、辞書編纂(さん)事業と、Wikipediaのようなネットの集合知システムと、どちらが生き残って、どちらがより利用されているだろうか。

 筆者は長い時間をかけて改編を続けてきた辞書の正確性を信頼しているが、その辞書がインターネット上でも紙の出版物同様、その立ち位置をきちんと築けているか、疑問である。

 辞書とネットの集合知を比較して記述が違っていたとき、このままでは後世の人たちは「辞書には誤りが多い」と判断してしまうのではないだろうか。言葉は時代に応じて変わるが、「今」が常に正しいわけではない。そのアンカーの役割を、辞書はいつまで果たせるだろうか。もし果たせないのであれば、それに代わるものは何だろうか。

 今は「人財」という字面の優しさだけで、魂が救われる気持ちがするかもしれない。しかしそれが、意味の正確さよりも大事だというのであれば、「コイツの魂、やっす!」と付け入られる可能性すらある。

 字面と行為は、必ずしも一致しない。言葉の優しさは、そんな当たり前の事実を覆い隠してしまう。だからこそ、言葉の表面だけでなくその奥を知ることはとても大事であり、「人財」という字面を使う側、見る側とも、その点をゆっくり立ち止まって考えていただきたいところである。

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