――確かに、大量生産の製造設備があったら、後の「紀土」のような銘酒は生まれていなかったようにも思います。話は前後しますが、IWC2020で日本酒部門の最高賞に輝いた「紀土 無量山 純米吟醸」は720mlで2530円。中でも限定生産の「紀土 -KID- 無量山 純米大吟醸 精米歩合20%」は13万2000円し、かつ売れ行きも好調です。1本100円ぐらいのパック酒から、よくここまでの高付加価値をつけられたなと思います。
従業員の蔵人と、お客さんとの信頼関係の積み重ねがあったのだと思います。10万円以上という強気の価格帯の日本酒も展開しているのは、今や日本酒は世界的に有名なフランスワインにもクオリティーは全く負けていない。にもかかわらず、日本酒が安く飲まれすぎていると考えたからです。
――どのように今のようなブランドを獲得していったのでしょうか。
PRとかプロモーションというのは、他の酒蔵よりは積極的にやっているとは思います。ただ、良くないものをPRしても意味がないので、おいしい日本酒を作るために、やはりモノづくりをまず一つ一つ大切にしていくことがとても大事だと考えています。そのために従業員への教育が欠かせないなと実感していました。
――人材派遣ベンチャーから日本酒業界に移られて多くのカルチャーショックを受けたかと思いますが、どうでしたか。
ある種、日本酒業界は本当に古い組織だと実感しましたね。東京の人材派遣ベンチャーでは若い人が中心に働いていたんですが、当時の当社は50代60代の職人の方が中心でした。こういうところに若い人が入ってくると、すごく閉塞感があるんですね。この若い人というのは僕だったのですが、新参の人間にとってすごく居心地の悪い組織だったんですよ。
人材を扱う企業にいたのもあり、こういうところから変えていかなければ、組織として先はないと思いました。そこで始めたのが、当時日本酒業界では異例の大卒新卒採用だったんです。ただその結果、一時は多くの退職者を出すことになってしまいましたが。(後編に続く)
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