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ジャンプ「伝説の編集長」がFGO誕生に関わった“黒子”、電ファミニコゲーマー編集長と語る「才能を“超一流”に育てる極意」「マシリト」こと鳥嶋和彦が語るキャリア論【前編】(7/7 ページ)

» 2019年03月26日 07時30分 公開
[今野大一ITmedia]
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「分からないことはお前がやれ」

――平さんにお聞きします。4Gamerが存在感を発揮するようになったと実感したのはどんなタイミングですか?

平: 最初は海外のゲームを取り扱うサイトとして、ニッチなところでは存在感を示していました。その次のタイミングはオンラインゲームがブームになったタイミングです。「ファイナルファンタジーXI」や「ラグナロクオンライン」が現れてきて一気に市場が大きくなったのです。PCでゲームをするという文脈にマッチしていたメディアは雑誌『ログイン』などしかなく、たまたまそこに向けて新しい情報を出していた4Gamerがマッチしたのだと思っています。

――その時に平さんは何をしていたのですか?

平: 当時の4Gamerはソフトバンクパブリッシングという出版社の一部署でした。部員も基本的には皆、出版社の社員だったので、「Webサイトをやれ」といわれても何をすればいいのかが分からないわけです。当時僕は下っ端だったので「分からないことはお前がやれ」と言われました。だからWebサイトの改良や構築をやらされることになり、結果的に4Gamerの大まかな構造を決めることになりました。

phot 「ファイナルファンタジーXI」などが現れ、一気に市場が大きくなった(ファイナルファンタジーXI 公式サイト - PlayOnline.comより)

――平さんが先ほど仰っていた「ひきこもりだった」ことが奏功したのですか。

平: まあ、タイミングですよね。会社として雑誌からWebに軸足を移すタイミングに誰もやる人がいなかったので、たまたま飛び込めたんです。4Gamerが濃い記事を書くといわれるようになったのは08年頃です。そのころスタッフの編集スキルが成熟してきて、より深いものを作ろうという機運ができてきましたね。今皆さんが持っている4Gamerのイメージができたのはその辺りだと思います。

――小沼さんのお話でFateのコンセプトができたみたいに、4Gamerらしさができたということですね。

平: 僕はゲームのプロモーションをメディアの立場でよく見ていますが、プロモーションをするときに「手順を決めて終わり」というものが多々あります。発売が1年後だとすると、「このタイミングで雑誌に速報を載せる」というようにスケジュールを組むのがプロモーションだと考える人もいるのです。でも小沼さんが先ほど仰られていたことは、「そもそもこのゲームを誰に喜んでもらうのか」をきちんと考えるということですよね。

 僕がいろいろなプロモーションを見てきた中で一番優秀だと思ったのが小沼さんのものでした。だから付かず離れず飲みに行きましたね(笑)。根っこのところから本質的な仕事ができる人が好きなんですね。一言でいうと、頭を使って仕事をしているかどうかですね。

――平さんはじめ4Gamerの皆さんが目指すコンセプトは「本質志向を持つ人やゲームを扱っていくこと」に定まったのですか?

平: ゲームで遊んでいても、流行を意識したり、まねをしたりして作ったものではなく、一から分解して組み立て直したり、何もないところから発想したりして作ったゲームはやっぱり面白いと感じます。そういうものを扱おうというコンセプトはずっと変わりません。4Gamerという媒体が大きくなったのは、看板を使って取材に行ける環境がようやく整ってきたころ、皆の編集スキルも上がるなど、いろんな要素が重なったからだと思います。

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後編に続く……。

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