山田さんがワイン造りを始めたのは13年。もともとは関心もなく、「儲(もう)からないと思っていた。ボトルすら開けられなかった」(山田さん)。バーテンダーとしての修業も、主にフルーツを使ったフレッシュカクテルの技術を磨くことが目的だった。ただ、飲食店を経営する中で、ワインへの顧客ニーズが高いことを肌で感じるようになる。
「一度、ワインを学んでみよう」。そう思い立った山田さんは、ソムリエの資格を取るためのワインスクールに通う。その初回の授業で衝撃が走った。
日照率や降水率など、農業そのものの勉強だったのだ。そして、大手航空会社のCA(キャビンアテンダント)をはじめとするクラスメイトたちが、ブドウ農家のことを「造り手」と呼び、尊敬の念を抱く様子を見て、さらにショックを受けた。
「え、造り手って、泥だらけで農作業している、うちのじいさんのような人のことでしょ……?」
ワインの世界においては農家が敬われ、慕われるものなのだと実感した山田さんは、単に知識を習得するだけではなく、自らが本格的にワイン造りに携わることを誓った。授業の後、スクールの講師に「苗木はどこで買えるのですか?」と質問し、すぐさま苗木を入手。それまで白菜畑だった丘陵の場所約30アールに苗木を植えて、ブドウ畑に変えた。
「長年、じいさんや親が泥だらけになって苦労する姿しか見てこなかったので、農家がこうした扱いをされるのは画期的で、びっくりしました。農業に憧れや夢を持ってもらえることが、ワインならば可能だと感じました」
意気揚々とワイン造りをスタートした山田さんだったが、ここで法律の壁が立ちはだかる。いくら手塩にかけてブドウを育てても、自らの手でワインを造ることができないのだ。
酒税法において、ワインは年間6000リットル(750ミリリットル瓶で換算して約8000本)以上の生産量がなければ、酒造免許を取得できない。山田さんのワイナリーでは、現在でも年間200リットルほど。基準には到底及ばない。
17年にピノ・ノワールやシャルドネなどのブドウを初めて収穫したが、自社では製造できないため、外部に委託してワインを造るしか方法がなかった。結局、山田さんの初めてのワインは、東京都練馬区の醸造所に委ねられることとなった。
「全て自分の手で完成させたい」。そう強い思いを持っていた山田さんはワイン特区のことを知る。
特区、すなわち「構造改革特別区域」とは、内閣府が定める、法律が規制緩和される特別な区域のこと。全国にはさまざまな特区が存在し、ワイン特区も現在までに50カ所以上ある。ワイン特区の認定を受ければ、少量でもワイン製造ができるようになる。
山田さんはすぐさま川崎市役所にかけ合う。特区の申請に際して、川崎市としては、カルナエスト1社だけのために動くというわけにはいかず、市内のほかの生産者にもワイン造りの意思があるかどうか確認する必要があると判断。とはいえ、市から「ここの農家はどうか」という目星が付いているわけでもなかった。
「そうであれば、私が探してきます」と、山田さん自身が積極的に動く。知り合いの生産者などに声をかけて、ワイン造りを呼びかけた。結果的に、カルナエストを含めた5農家が申請書に名を連ねることとなった。
その後、川崎市は内閣府とやりとりをしながら特区の申請手続きを進める。20年1月に申請が完了し、3月に「かわさきそだちワイン特区」として認定を受けた。これは神奈川県で初のワイン特区となった。なお、21年3月には相模原市もワイン特区として認定されている。
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