あのときAppleを買収していたら――マクニーリー元CEO、Sunの過去を語る(3/3 ページ)

» 2011年03月02日 08時00分 公開
[Chris Preimesberger,eWEEK]
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 「AT&Tとの提携に基づいてSunOSの開発を打ち切り、それを非プロプライエタリ化したのは間違いではなかった。問題だったのは、われわれがx86版Solaris搭載マシンをすぐに提供しなかったことだ。リリースの発表を12回くらいキャンセルした。私の最大の過ちは、Sunがソフトウェアだけを提供しても市場に受け入れられると考えたことだ。人々はSunをハードウェアサプライヤーとして評価していたのであり、われわれのOSを使いたいとは思っていなかったという事実に気付かなかった」とマクニーリー氏は語った。

 「もしわれわれがIntelのPentiumチップをいち早く採用し、1CPUあるいは2CPU搭載ピザボックス型マシンにSolarisを組み込んで発売していれば、Linuxが出る幕はなかっただろう。そうすればわれわれは2000年以後の新たな波に乗り、新興企業各社もこぞってわれわれの製品を利用していただろう」(同氏)

 「あそこで間違っていなければ、Googleは今ごろSolarisを使っていただろう。あれが最大のミスだった」(同氏)

 ザンダー氏によると、Web開発言語のJavaが1990年代半ばにテイクオフしていちばん驚いたのは、ほかならぬSun自身だという。インターネットが爆発的に普及し、開発者たちが高度なオンラインアプリケーションを素早く開発できる新しいツールを探し求めていたときに、Javaが市場に登場したのだ。

 「Javaはずっと以前から社内で検討されていたが、活用分野や用途が見つからなかった。経費ばかり掛かるなどと言われ、いつも邪魔者扱いだった。会議などでは必ず誰かが“もうこれはやめよう”と言ったものだ」とザンダー氏は打ち明けた。Javaは、1995年のプレスカンファレンスで当社のネットワークスイートの一部として紹介された。プレスリリースのリストの3番目か4番目にJavaという簡素な開発言語が入っている、というくらいのものだった。しかしそれがヒットしたのだ」

 マクニーリー氏によると、Javaの成功をもたらした決定的な要因は「無償でオープンソースのNetscapeブラウザにJavaランタイムを結び付けられたことだ」という。「この2つが結合したことで相互の普及を加速させることになった。これは両社にとって、ものすごくラッキーなタイミングだった」

 Oracleによる買収後、マクニーリー氏は少なくとも当面、メディアやアナリスト、規制当局、業界ライバルの監視の目から身を潜めている。ゴルフやホッケーを楽しみ、4人の息子の成長を見守りながら、新興企業(Hardcore Computer、EMC Greenplum、Curriki.org)に助言を行っているという。ソフトウェア企業を立ち上げる準備も進めており、近く発表があるもようだ。

 一方のザンダー氏も新興企業にアドバイスを提供するとともに、数社の企業の取締役を務めている。

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