パワハラかそうじゃないかの違いはどこ?読めば分かるコンプライアンス(15)(5/5 ページ)

» 2009年01月27日 12時00分 公開
[鈴木 瑞穂,@IT]
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どこからがパワハラ?

大塚 「……というわけで、源さんがパワハラだって訴えられているんですよ。赤城さん、どうすればいいんですかね」

 大塚は自分の大学の先輩でもあり、いまは法務部長兼コンプライアンス推進室の主要メンバーである赤城雄介と、社内の法務部長室でコーヒーを飲みながら袴田の一件を相談していた。

赤城 「ちょっと待て。どこがどういうわけで袴田さんがパワハラになるんだ?」

大塚 「ですからぁ、部下が上司に自分の仕事のやり方を否定されて、精神的苦痛を受けていると主張してるんですよ」

赤城 「上司が何かをいって、それで部下がストレスを感じたら、すべて上司のパワハラになるのか?」

大塚 「そういうふうにいうと話が漠然としちゃいますけど、今回の場合、上司の源さんが部下の井川の仕事のやり方を否定してるんですよ」

ALT 赤城 雄介

 赤城は、大塚もまた最近の傾向にはまり、「パワハラ」という言葉に引きずり回されているなと思った。ここはひとつ、大塚に気付かせてやらねばならない。

赤城 「否定しているっていうけど、具体的には、袴田さんは井川くんに何ていったんだろう。上司は仕事のやり方について部下を指導する権限も、責任も持っている。袴田さんは井川くんを指導したんじゃないんだろうか。その点、袴田さんに聞いてみたのか?」

大塚 「そういわれると……。確かにこの件は井川からしか聞いてないし、源さんが井川に何をどういったかという具体的な状況は分からないし、源さんからの話はまだ聞いてません。……っていうか、相談してるのは僕なんですよ。じらさないで教えてくださいよ!」

赤城 「いや、じらしているわけじゃないんだ。ただね、大塚くん。この点はしっかりと認識しておいてもらいたいんだが、パワーハラスメントという言葉の正式な定義とか要件はまだ存在していないんだ」

大塚 「定義がない? どういうことですか?」

 大塚は一瞬面食らったような表情を浮かべた。やれやれ、やっぱり言葉に引きずり回されているじゃないか。赤城は説明し始めた。

赤城 「セクハラの定義や要件は、男女雇用機会均等法11条1項に定められている。だから、そこに定められている要件を満たす行動をとった人間に対しては、『それはセクハラだ!』と非難することもできるし、それを根拠にしてセクハラの加害者に何らかの責任を負わせることもできる。だけど、パワハラについては、均等法11条1項のような正式な定義付けがまだ存在していない状況なんだ」

大塚 「そうなんですか……」

赤城 「そう。パワハラという言葉は正式な定義もないまま、言葉としては驚くほどポピュラーになってしまっている。簡単にいうと、“パワハラという言葉を使いたい人間が、自分に都合が良いように解釈して使いたい放題に使っている”という状況なんだ。もっというと、上司を攻撃するのに便利な道具として使われ始めてきている、といってもいいかもしれない」

大塚 「なるほど、いわれてみればそんな雰囲気もあるような……。でも、これだけポピュラーになっているということは、それなりに実態的な意味もあるんじゃないんですか?」

赤城 「確かに横暴ないい方ってのはあるよな。誰が見ても、横暴なことをいう上司の方が悪い場合もあるもんだ。でも、それを判断するためには、その場の状況を正確に詳しく把握する必要がある。部下が『パワハラだ』といっただけですぐにパワハラがあった、と決め付けるのは正しくない。結論としてパワハラだったと判断すれば、上司には何らかの責任を取らせることになるかもしれない。だとしたら、責任を取らせるだけの合理的な根拠がないといけないじゃないか」

大塚 「なるほど……、確かにそうですね。でも、正式な定義がないんじゃ、何を根拠に判断すればいいんですか」

赤城 「そこなんだよ。部下が『パワハラだ』という声を上げている以上は、無視するわけにはいかない。ハラスメント、つまり人間の尊厳を傷つける嫌がらせはコンプライアンスに背くものだから、セクハラであろうとパワハラであろうと、放置しておくわけにはいかない。しかし、セクハラには正式な定義はあるがパワハラにはそれがない。パワハラになるかならないか、一体何を基準に考えればいいのだろうか……」

大塚 「ええ、それを聞いてるわけでして……」

赤城 「正式な定義はないけれども、いままでの事例を基にして、最近では“パワハラとなるための4つの要素”というものが主張されている」

大塚 「ほほう、それはどんなものですか?」

赤城 「上司の言動について、第1に上司の立場に基づいていること、第2に職務上の必要性に基づいていないこと、第3に部下の人格の尊厳を傷つけるような内容であること、第4に継続してそのような言動をとっていること、この4点だ」

大塚 「ちょっと待ってくださいね、いまメモりますから……」

赤城 「部下が、『パワハラだ』という報告・相談・連絡をしてきたときは、条件反射的に対応するのは危険だよ。そういうときこそ腰を落ち着けて、パワハラが行われたとされる状況の詳細かつ具体的な事実を集めて、この4つの要素に該当するかどうかを冷静に客観的に判断すべきだろうね。でないと……」

大塚 「でないと…?」

赤城 「教育的な指導や叱咤(しった)激励をした上司にパワハラの責任を取らせる、という不合理なことになるかもしれない。部下にとっても、自分の成長のためになる助言を捨ててしまうことになるかもしれない。どっちにせよ、良いことはないんだよ」

大塚 「……。分かりました。井川の報告だけで“袴田がパワハラを行った”と結論付けたのは早急に過ぎました。今度は井川からだけじゃなく、袴田や周りのスタッフからもいろいろと聞いてみてから、もう一度よく考えてみます」

赤城 「ああ、それがいいと思うよ」

パワハラだったか検討してみると

 赤城の部屋から戻った大塚は会議室で袴田と会い、井川とやり合ったときの状況と袴田自身の気持ちを話してもらった。その後、桜田や金田そのほかのスタッフを1人ずつ呼んで、井川と袴田のやりとりの様子を聞き取った。

 その結果、袴田の言動はパワハラに該当しない、という結論に至った。

大塚 「(袴田が井川の仕事のやり方を注意したのは事実だし、井川にいわせれば、データ重視論という袴田の仕事のやり方を押し付けられたということになるんだろう。それは井川の感覚であって、本人がそう感じた以上は他人がとやかくいえるものではない。しかし、客観的に見て、井川に対する袴田の発言は業務上の必要性に基づく上司の助言の範囲内といえるだろう。それに、袴田が井川の仕事のやり方を否定した事実は存在しなかったと考えざるを得ない。こうしてみると、パワハラの4つの要素のうち、『業務上の必要性に基づいていない』と『部下の人格を傷つける』という2つの要素を欠いていることになる。だとすると、袴田の言動はパワハラに該当しないと考えるべきだろう)」

 また、桜田と金田の話を聞いて、大塚は逆に井川の言動こそパワハラになるのではないかと思った。

大塚 (井川はスーパーバイザーとして桜田と金田の上司ということができる。その上司が部下に対して、『脳みその程度が知れる』『自分のバカさかげんに額縁付けて見せてる』『早く辞めたら』みたいなことをいうなんて、モロに部下の人格を傷つける発言だし、そっちの方がよっぽどパワハラになるんじゃないか)」

 こうして一応の結論を得た大塚は3日後、再度井川と話し合いの機会を持ち、自分の結論と「4つの要素」に基づく理由を井川に伝えた。同時に、井川の行為こそパワハラに該当する可能性が強いという考えも伝えた。

 井川は強硬に反論してくるだろう。大塚はなんとなくそう思っていたが予想に反して、井川は反論らしい反論はせずに、大塚の話を納得して聞いていた。

大塚 「(頭の良さに自信を持っている者としては、理屈さえ通っていれば感情に流されることはない、ということか……)」

 いずれにせよ、一件落着には違いない。大塚はホッと胸をなでおろした。

【次回予告】
 井川は、袴田から指摘された部分を“仕事のやり方を上司の権力で押し付けてきた”と解釈し、パワハラであると訴えます。しかし、パワハラはまだしっかりした定義や法律が存在していないため、4つの要件を満たすことがパワハラの必要条件であるといわれています。

 このような法律や定義があいまいなものをコンプライアンス上、どう考えていけばよいのでしょうか。次回は、パワハラをコンプライアンスの視点から詳しく分析します。なお、次回は1月28日に掲載予定です。お楽しみに。

著者紹介

▼著者名 鈴木 瑞穂(すずき みずほ)

中央大学法学部法律学科卒業後、外資系コンサルティング会社などで法務・管理業務を務める。

主な業務:企業法務(取引契約、労務問題)、コンプライアンス(法令遵守対策)、リスクマネジメント(危機管理、クレーム対応)など。

著書:「やさしくわかるコンプライアンス」(日本実業出版社、あずさビジネススクール著)


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