ロボット工学を「究極の人間学」として問い直し、最前線の研究者にインタビューした書籍「人とロボットの秘密」(堀田純司著、講談社)を、連載形式で全文掲載します。
バックナンバー:
第3章-1 子どもはなぜ巨大ロボットが好きなのか ポスト「マジンガーZ」と非記号的知能
第3章-2 「親しみやすい」ロボットとは 記号論理の限界と芸術理論 中田亨博士の試み
第4章-1 「意識は機械で再現できる」 前野教授の「受動意識仮説」
第4章-2 生物がクオリアを獲得した理由 「受動意識仮説」で解く3つの謎
第5章-2 機械が生命に学ぶ時代 吉田教授の「3つの“し”想」
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このようにして工学分野だけでは達成が難しい成果をあげた教授の研究だが、それは開発したところでは終わらない。
今度は、アプリケーションの領域に踏み込んでいくのだ。つくったロボットを提供して、今度は人間の専門家につかってもらう。そしてその結果をまたロボットにフィードバックするのである。
こうした応用研究の例として、教授が20年にわたって取り組んできた顎運動障害者用治療ロボットがあげられる。
従来、顎関節症の手術は難しく、患者にとっても激痛を伴うものだった。しかし高西教授は口腔外科医や歯科医師と共同し、人間の「ものを噛むメカニズム」を研究。そのモデルを導入した手術補助ロボットをつくり、実地に応用する。そしてまたその結果をロボットに取り込んだ。
こうしたプロセスを経て、教授は患者の顎関節にかかる力が最低になるように自動調節を行い、手術をサポートする治療ロボットの開発に成功した。このロボットに補助される医師は、必要な動作にのみ集中することができる。その効果は劇的で、患者の苦痛は画期的に改善された。そのロボットを使って治療すると、ほとんど痛みはないのだという。「こうしたロボットは、人のメカニズムがわかっていたからこそ実現できたことです」と教授は語る。
我々は機械屋、ロボット屋です。ロボット屋としては「ものを噛むロボットをつくる」と言われたら、その時点の技術で可能な設計はなんでも実現できないといけない。
しかしものを噛むロボットをつくるためには、人間の顎の形や歯がどうついているかなどの仕様や、それらがどのように運動しているかという知識が必要なのですが、我々はその知識を持っていないために、モデルを決定できなかった。
医学のように人間を科学する分野では、人間についての膨大な知識を蓄積しています。しかし、そうした文献を読んでも、我々だけではその知識を総合してロボットに盛り込む能力がない。だから人間の専門家と協同して、現場で蓄積されてきたセンスを直接教えてもらいながら、ものを噛むロボットをつくっていくんです。
医学者は自らの経験を積み重ねて、直感的に人間の身体を把握しています。特に世界的に活躍されている方ほど動物的なセンスの領域で人を理解し、医療を実践していらっしゃる。我々は、そうした人たちのセンスを我々なりに工学的解釈を行って、設計論に結びつけていこうとしていたわけです。
専門家の知識を取り入れてロボットをつくる。それを人に提供してアプリケーション領域で運用し、結果を得る。そうした情報の交流を経て、ロボットの性能は、本当に人間科学の分野で役に立つヒューマノイドとして向上していく。
近年のロボットアニメなどを見ると、(主に敵側が)遭遇戦のすえ「データが取れたから、よし」などといって撤退していく場面を見かける。筆者などはそういう場面を見て「負け惜しみをいいやがって」などと感じていたものだが、実地の応用データは、開発において、確かにとても重要なものなのだそうだ。
そうした開発と応用のプロセスを経て、ロボットを人間に近づけていくと、その結果なにが得られるのだろうか。得られるものは「数値として定量化された人間のモデル」である。
人間の機能をロボットが再現できたとする。ロボットは、その構成素材のすべてが「ボディは超々ジュラルミンのJIS7000番。それが300ミリの厚さで誤差はプラスマイナス50ミクロン」といった具合に、図面に記入されている。
またその図面で組み上げられたボディを動かすコンピューターも、すべて論理列で演算されている。つまり、すべてが数値として定量的に把握され、組み上げられている。
そうしたロボットに人間の動作を再現させれば、人間のふるまいを定量的に理解することにつながるのだ。
たとえば歩行という動作は、人間にとっては当たり前の動作であり、誰でも直感的にやってのけることができる。そのために、いざ「そもそも歩行とはなんだろう」と考えてその答えを得るのはなかなか難しい。
教授は最新型のWABIAN-2を、歩行障害を持つ人や高齢者の人などをサポートするデバイスの評価に使おうとしているという。
実際の人間が歩行補助機械を使用した場合、その評価はどうしても個人個人の感覚にゆだねられ、定量的にデータを獲得することが難しい。しかし、細かく分類すれば100個以上のセンサーを持つ歩行評価用のWABIAN‐2に歩行補助機械を使用させると、人間が機械を使用した様子を外部から観察するよりも、はるかに精度が高く密度が濃いモニターが可能になるのだ。
対象を数値として定量的に理解する。そしてその工学モデルを手に入れた上で、さまざまな設計論を構築していく。それが工学者の方法であり仕事なのだと教授はいう。
ある対象を理解しようとするとき、自然科学では観察し、対象の個々の要素を分析していくという「還元的」なアプローチを行う。しかし、エンジニアはそれとは逆で、反対に対象の機能を自分でつくっていくという「構成的」なアプローチをとる。
高西教授の場合は還元的なアプローチで得られたセンスを盛り込んで、構成的にロボットをつくり、さらにそれを現場で応用して完成度を高めていく。そして対象、この場合は人間だが、対象をつくってしまうことができるだけの知識を得る。数値で定量化されたモデルだ。このモデルを手に入れることで、医療ロボットのように人間と限界まで密接にかかわる機械をつくることが可能になるのである。
教授は、この総合的な人とロボットの研究を「ロボティックヒューマンサイエンス」と表現している。
ただ「人間の動作をロボットで再現する」といっても、人間の場合は、筋肉が全身に約600ある。一方、WABIAN-2は、人間の筋肉にあたるアクチュエーターが41個しかない。人間のほうが1桁多い。現在の技術で、WABIANに人間同様600個のアクチュエーターを装着した場合、重さが1トンにも達し、ぜんぜん動かない機械になってしまう。だからモーターの数から見ても、まだWABIANは人間の動作のうち、10分の1以下程度しか実現できないとは言える。
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ノンフィクションライター、編集者。1969年、大阪府大阪市生まれ。大阪桃山学院高校を中退後、上智大学文学部ドイツ文学科入学。在学中よりフリーとして働き始める。
著書に日本のオタク文化に取材し、その深い掘り下げで注目を集めた「萌え萌えジャパン」(講談社)などがある。近刊は「自分でやってみた男」(同)。自分の好きな作品を自ら“やってみる”というネタ風の本書で“体験型”エンターテインメント紹介という独特の領域に踏み込む。
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