ニュース
» 2009年07月23日 12時31分 UPDATE

「技術で生活を便利に」 mixiの生みの親・バタラさんが次に作るもの

衛藤バタラさんは当初、mixiを1人開発・運用していた。ミクシィを退社して起業し、ゼロからの再出発。「技術で生活を便利にしたい」と意気込む。

[岡田有花,ITmedia]
画像

 SNS「mixi」を発案した衛藤バタラさん(29)は、当初、mixiの技術面をすべて1人で担当していた。プログラミングもデータセンターとの契約もサーバ調達・運用も、1人でこなしたという。

 mixiが成長するにつれて人員も増え、05年、CTOに就任。全社の技術を統括していたが、「自分が作りたいものを企画して、自分の手で作りたい」という思いが募り、07年末にミクシィを辞めた。

 08年2月、自己資金5000万円で新会社「えとらぼ」を設立。「技術のためのサービスではなく、生活を便利にするために、技術をいかしたい」と意気込む。

最初のPCは4色表示 出合いはゲーム

 1979年、インドネシア生まれ。インドネシア語も英語も日本語も、福建語も流ちょうに話す。祖父が日本人で、衛藤は祖父の姓。母は華僑だ。

 初めてPCに触ったのは「小学校6年生くらい」。親戚が仕事用に使っていたマシンで、「Intel 8086か8088の時代だったと思う。4色しか表示できなかった」。

 ひたすらゲームをしていた。物を投げてくる住民の“攻撃”をかいくぐり、ネコをマンションの上に登らせるゲーム「アレイキャット」が楽しかったという。

 自分用のマシンも買ってもらった。親戚の家のマシンより新しく、256色表示できたが「設定の方法が分からなくて、しばらく4色表示でやっていた」。

 インドネシアでもPCがまだ珍しかったころ。PCを買うと、PC入門講座が付いてきた。講座に通い、BASICもかじったが、プログラミングよりゲームが楽しかった。アドベンチャーゲーム「Kings Quest」にハマったと振り返る。

「パソコン アルバイト」で検索 ミクシィと出合う

 高校2〜3年のころ、14.4Kbpsのモデムでインターネットにつなぎ、IRCで地元の人と交流したり、海外に住んでいる人と話した。

 IRCのチャンネルをキープするためのBOTプログラムを組んだり、geocitiesでWebサイトを作ってCGIも覚えた。技術は、本で調べたり、技術系のメーリングリストで聞き、独学で身に付けたという。

 理系科目が得意。大学ではコンピューターを学びたいと日本留学を決め、拓殖大学工学部情報工学科に入学した。

 プログラミングの腕は、大学の授業よりもアルバイトで磨いた。勉強と小遣い稼ぎのために、Webサイト構築などのアルバイトを始めた。「Find Job!」で求人を見つけては応募していたという。

 ある時、「パソコン アルバイト」で検索していると、Find Job!運営元のイー・マーキュリー(現:ミクシィ)の募集を発見。応募して採用された。

 2001年当時、3〜4人程度の小さな会社だったという。Find Job!や、プレスリリース配信サービス「@press」のシステムや運用を担当。卒業後、そのまま入社した。

mixi誕生 「毎日サーバが足りなくなった」

 03年ごろから米国でSNSが流行し始め、面白さに引かれていた。Find Job!に人を集める手段としても魅力的と感じ、笠原健治社長に相談。ゴーサインをもらった。笠原社長やデザイナーと協力しながら、技術面は1人で担当した。

画像 2004年当時のmixiの画面

 mixiはオープン直後から急成長し、「今日サイトが重かったら、翌日はもっと重くなる」という状態。大規模サイトをゼロから構築、運用したのは初めてで、「毎日サーバが足りなくなった」と振り返る。

 「使っていたデルのサーバは、注文してから届くまでに時間がかかってしまう。足りなくなったらすぐに増設するために、アキバに行ってサーバを買い、データセンターに持って行く、ということを繰り返していた。スケーラビリティが大変だった」

 サービスが拡大するにつれ人員も増え、技術者も増員。mixiの構築や運営に直接関わる機会は減っていった。05年、CTOに就任し、全社の技術者をマネージメントしたり、意見を言う立場に変わった。

mixi退社 新サービスを夏リリース

 とはいえまだ20代。「自ら企画し、自分が欲しい物を自分の手で作りたい」という思いは強くなっていき、07年末、ミクシィを退社した。

 1年ほど休み、異業種の人と交流したり、旅行したりしながら、新サービスの構想を温めていった。

画像

 08年2月29日、えとらぼを設立。「うるう年の4年に1回しかないこの日にどうしても設立したかった」という。社名は30秒で決めた」。当時は1人の会社で、試験段階だったから、名字の「衛藤」と「ラボ」を付けた。

 第1弾サービスは、フォトストレージ「Ficia」(フィシア)だ。写真をネット上で管理し、必要に応じて公開・共有できるというもの。似たサービスはたくさんあるが、ユーザーインタフェースやデータのアップロード速度など細かな使い勝手にこだわり「かゆいところに手が届くサービスにした」という。

 まずはPC向けに提供するが、携帯電話やデジタル家電にも対応し、幅広い人に使ってもらいたい考え。現在、クローズドβテスト中で、秋までのリリースを予定している。基本サービスは無料で、有料版も用意する予定だ。

技術で生活を便利にしたい

 えとらぼの人員は8人。うち6人が技術者だ。大規模システムの運用や、Webアプリ開発の第一人者、モバイルサービスのトップ技術者――超一流の技術者が集まった。社内で開発した分散ストレージシステム「kumofs」は、「Interop Tokyo 2009 クラウドコンピューティングコンペティション」でグランプリを受賞している。

 技術者たちは、同じビジョンを共有しているという。「技術のためのサービスではなく、生活を便利にするサービスを作りたい」と。

 「今あるサービスの使い勝手を改善し、生活を便利にしていきたい。最先端技術を使うためのサービスを作るのではなく、『こういうものがあればいいよね』と思うものを作るために、必要ならば最先端の技術を使いたい」

 iPodを例に挙げる。「iPodは新しい技術を生み出したのではなく、ひとひねりし、使いやすく便利にすることで流行した」。

 そういえばmixiは、既存のSNSの機能を、日本人向けに改善したものだった。えとらぼの新サービスも、「iPhoto」など、バタラさんが使っていた写真管理ツールで不便に感じたことを改善したものだ。

 会社の成長も目指すが、ミクシィほどの急成長は望んでいない。「今年中は、多くても20人ぐらいの体制で、10年後ぐらいには100人規模ぐらいにしたい」

Copyright© 2016 ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

Loading

ピックアップコンテンツ

- PR -