ニュース
» 2017年04月20日 06時00分 UPDATE

PC最盛期の重要イベント「IDF」がついに終了 20年の歴史を振り返る (1/3)

テクノロジートレンドの中心にPCがいた時代。Intelの開発者会議「IDF」は業界動向を占ううえで極めて重要なイベントだった。しかし時代は変わり、IDFはその役目を終え、Intel自身も変わろうとしている。

[鈴木淳也(Junya Suzuki),ITmedia]

 米Intelの開発者会議「Intel Developer Forum(通称IDF)」が、約20年の歴史に幕を下ろした。

 4月17日(現地時間)、米Intelは2017年8月に米カリフォルニア州サンフランシスコで開催する予定だったIDF 2017をキャンセルし、例年春に中国の深センで実施しているIDF Shenzhenも2017年は行わず、全てのIDFを終了すると発表したのだ。2016年8月に開催された「IDF16 San Francisco」が最後のIDFになった。

IDF IDF17の中止、そしてIDF終了の告知
IDF 2016年9月に米サンフランシスコで開催された「IDF16」が最後のIDFとなった。写真はその基調講演に登壇した米Intelのブライアン・クルザニッチCEO

 本稿ではIDFというイベントの概要を紹介しつつ、20年間でどのような足跡をたどり、そして終了したのか、それが意味するところをみていきたい。

Windows 95登場後のPC勃興期に始まったIDF

 「Intel Developer Forum(Intel開発者会議)」という名称が示すように、IDFが目指してきたのは、Intelのエコシステムを使ってハードウェアやソフトウェアの設計を行う技術者との情報交換にあった。

 最初のIDFが開催された1997年当時は、Windows 95のブームも一段落し、ちょうどPCが世間一般にも普及し始めて市民権を得つつある時期だ。CPUからGPU、各種周辺機器まで、PC周辺ベンダーは百花繚乱であり、こうした中でIntelが業界リーダーとしてきちんと技術的、マーケティング的な方向性を示し、必要な情報を提供しつつ、その潜在顧客であるPCメーカーや関係者からのフィードバックを得るのがIDFの役割だった。

IDF 1998年から2005年までIntelの黄金期をCEOとして支えたクレイグバレット氏

 発起人は、現在米VMwareでCEOに就任しているパット・ゲルシンガー氏と言われている。IDFの開催においては、Pentium Pro以降のプロセッサ開発で主導的な役割を果たした技術畑の同氏による発想が大きかった(1997年当時のIDF開催を告知するプレスリリース)。

 とはいえ、始まったばかりのIDFは小さなイベントだった。貴重な第1回のIDFに参加したジャーナリストの故元麻布春男氏に以前話を聞いたところ、「1つの会議室に参加者が集まってスピーチを行う非常に小規模なもの」だったようだ。

 この第1回のIDFはサンフランシスコで1997年9月に開催され、第2回はIntel本社のあるサンノゼ(正確にはサンタクララ)で1998年2月に、そして第3回はロサンゼルス近郊にある避寒地リゾートのパームスプリングスに舞台を移して1998年9月に開催されている。以後、IDFは「Spring(春)」と「Fall(秋)」の年2回開催が通例となっていく。

IDF 当時開発部門のトップを率いていたパット・ゲルシンガー氏。現在は米VMwareのCEO
IDF IDF 2008のプログラム概要。既に同社を去ったメンバーが多くを占めているが、ゲストを含めて非常に豪華だ

 筆者にとってもIDFは非常に思い出深いイベントだ。1999年2月開催の第4回目のIDFは、筆者が初めて取材したIDFというだけでなく、初めての海外渡航と海外出張だった。

 当時所属していた月刊アスキー(休刊、現在はKADOKAWA傘下)で副編集長からIDF開催2週間前に「IDFを取材してきて」と言われ、「パスポート持ってないです」「そこを何とかするのが記者でしょ」とむちゃぶりをされつつ、同業の先輩ライター諸氏の助けを借りながら何とか取材を完遂した記憶がある。

 最初の小規模なイベントとはうってかわり、この時点で既に大きなイベントになっていた。派手な演出で次々と披露される新製品群と新技術、消化しきれないほど大量の情報、パートナー各社のブースでにぎわう展示コーナーなど、IntelとPCを取り巻くエコシステムの巨大さに驚かされるばかりだった。

IDF 筆者初の海外レポートは第4回目の開催となるIDF Spring 1999だった(月刊アスキー1999年3月号に掲載)。20年間の変化が興味深い

 ちなみに、第4回IDFでの最大の目玉は「Pentiumでクロック周波数1GHz超え」のデモだろう。液体窒素冷却を使っていたはずだが、当時まだPentium III 500MHzが発表されたばかりのタイミングで、1GHz超えは研究開発レベルのものに過ぎなかった。

 それから1年たたずにAdvanced Micro Devices(AMD)との「市販品での1GHz超えプロセッサ合戦」が始まるわけで、技術の進化スピードを恐ろしいほど実感できる時期だったようにも思う。

 2000年代にパフォーマンス競争で優位に立ったIntelは、当時サーバやワークステーション分野で競合関係にあったSPARCなどのRISC系プロセッサを次々と追いやり、今日につながるPCサーバ市場での覇権を手中に収めた。

 IDFが開催された20年の歴史の中でも、この前半10年の時期がイベントとして盛り上がりのピークで、次の10年はIntelにとって冒険が始まる時期となる。

       1|2|3 次のページへ

Copyright© 2017 ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

この記事が気に入ったら
ITmedia PC USER に「いいね!」しよう