毎年4月はクライアントの新入社員を預かって研修を担当する。ビジネスマナーだったりコミュニケーションスキルだったり、いわゆるヒューマンスキルが私の専門なので、講義の合間に「事例」を紹介することもある。
「事例」で最もイキイキと臨場感を持って語れるのは自分自身の経験だ。だから若手自体に、失敗したり、上司や先輩からしかられたりした話を臆することなくどんどん披露することにしている。すると、親ほどの年齢である私の、それも30年近く前の経験であっても、新入社員は熱心に耳を傾け、時には細かくメモを取ったりまでしている。その後で日報を見ると、「田中さんの経験談がとても勉強になった。興味深く聴いた」と講義内容よりも私が語った経験談に興味津々な様子なのである。
私が話すのは、このコラムで紹介しているようなエピソードである。例えば、「旅費精算書を走り書きして提出したら、書き直せを上司に指示されたこと」だとか、「新人研修時にあまりに成績が悪かったため、配属先がないと言われたが、あきらめずに続けていたら、やがて自分の仕事が分かるようになって、2年目にはちゃんと後輩に教えられた」といったつたないキャリアのこと。そんな話をその時々の誰かのせりふや自分の気持ちを織り交ぜて話す。
新入社員はそれを聴いて、「今、講師として目の前にいる、立派そうにみえる大人であっても、若いころがあって、さまざまな失敗や痛い目に合ってきているんだなあ」と思うようなのだ。
ある時新入社員に尋ねてみたことがある。「私のような、皆さんの親御さんと同年代の人間の若いころの経験談って、時代も違うし、響くものなのかなあと心配なのですが、役立つものですか?」と。すると、「すごく役立ちます! 面白いというだけじゃなくて、自分がこれから遭遇することを予想したり、同じような場面になった時自分ならどう振る舞うか想像してみたり、とても勉強になります」と言われた。
なるほど。疑似体験ができるということか。
そういえば、職場でも似たような経験をした。入社したての30代前半の後輩と外出したときのこと。移動の車中で、何の話からなのか、「講師としてデビューする前の修行時代、私はプレゼンは下手で、先輩たちから何度もダメ出しをされて、でも、怖くて大きな声は出ないし、本当に苦労した。先輩たちはものすごく厳しかった」と話したことがある。すると彼女は、それを聴いて「へぇー」と目を丸くして驚いた。
「淳子さんでもそんな時代があったんですか? 最初から堂々と物おじせずプレゼンしていたとしか想像つかない!」と言う。そんなはずはなく、先輩の前でのリハーサルでは繰り返しダメ出しをされ、どこがダメなのかも分からず、夜な夜な1人でリハーサルしたことなど何度もあった。
そういう若手時代のことを話して聞かせたことにより、彼女は「苦労しているのは自分だけではないのだ」と安心できたのだろう。
上司や先輩は、自分たちの若いころの体験をもっと若手に語ってみたらよいと思う。決して、たやすい道ではなくて、あれやこれやの苦い経験、つらい経験も経て現在の自分に至っているのだ、ということを。誰にしかられたとか誰に怒られたとかどんな失敗をしたとかそういう、カッコ悪いところをさらけ出してみる。若手の部下後輩は、上司や先輩のそんな話を聴き、自分もまだまだ頑張らねばと勇気が沸いてくるものではないだろうか。
体験談を語る際に気を付けることは2つだけだ。「説教くさくならないこと」と「自慢話で終わらないこと」。「オレも頑張ってきた。だから、キミもやらなくちゃダメじゃないか」とか「私はよくやってきた。キミ達にも同じことができるか?」といった展開はよろしくない。ただ淡々と「私が新人の時はこんなことがあったんだよ」と語るだけでよい。
上手に語れば、きっと若手は静かに耳を傾け、何かを感じ取るはずである。
グローバルナレッジネットワーク株式会社 人材教育コンサルタント/産業カウンセラー。
1986年上智大学文学部教育学科卒。日本ディジタル イクイップメントを経て、96年より現職。IT業界をはじめさまざまな業界の新入社員から管理職層まで延べ3万人以上の人材育成に携わり27年。2003年からは特に企業のOJT制度支援に注力している。日経BP社「日経ITプロフェッショナル」「日経SYSTEMS」「日経コンピュータ」「ITpro」などで、若手育成やコミュニケーションに関するコラムを約10年間連載。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.