体格があまりにも違すぎ 豊臣秀頼の父親は秀吉ではなかった!?「真田丸」を100倍楽しむ小話(1/2 ページ)

» 2016年11月26日 08時45分 公開
[ITmedia]

「真田丸」を100倍楽しむ小話

この連載では、歴ドル&信州上田観光大使を務める小日向えりさんとともに、NHKの大河ドラマ「真田丸」に登場する人物、あるいは名シーンなどを取り上げて、よりドラマを楽しめるような情報や小ネタをお伝えしていきます。連載バックナンバーはこちら


編集部F: それにしても、まったくまとまらないですね、豊臣方は……。先週(11月20日放送)の『真田丸』でも早く戦わせろと憤った浪人衆が勝手に徳川方に攻め込もうとしました。結局、真田信繁(幸村)がうまく立ち振る舞って、事なきを得た形になりましたが。

現在の大阪城 現在の大阪城

小日向: ただ、夜討ちの大将、塙団右衛門が存在感を放っていましたね。木札、今でいう名刺を配った目立ちたがり屋の武将です。日本で初めて名刺を配った人物かもしれませんね。

編集部F: あと、印象的だったのは、豊臣秀頼と信繁のやり取りですね。それまで秀頼は母である茶々の顔色をうかがってばかりだったので、信繁は秀頼に総大将としてリーダーシップを取ってほしいと願い、その思いを伝えました。秀頼もその気になったのは良かったのですが、織田有楽斎などにそそのかされて「徳川と和睦する」という誤った判断を下してしまいました。そこで信繁が茶々に密かに手を回して、それを食い止めようとし、秀頼が混迷を極めてしまったのです。最初、信繁は秀頼に直接諫言もせずに随分とドライだなと思ったのですが、これは目標(勝利)を達成するには手段を選ばないということの表れだと痛感しました。

小日向: そうそう、秀頼と言えば、実は豊臣秀吉の子どもではないという俗説があるのをご存じですか?

編集部F: え、そうなんですか!?

小日向: 秀頼は身長197センチメートル、体重161キログラムだったという記録が残っているほど、大男だったと言われています。一方、父親の秀吉は140センチほどだったようで、あまりにも体格が違いすぎるため、実の子どもではないという説があるのだと思います。

編集部F: それで、父は誰だと言われているのですか?

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