――監督ではなく経営者として関わられているんですね。実際にFC今治に関わってみて気付いたことはありましたか?
今治に家を借りて住んでみて分かったんですが、栄えていないんですよね(笑)。海に続く商店街は、昼間は誰も歩いていないし、街の中心地はデパート跡地のさら地になっている。これでは、もしFC今治が成功しても見に来てくれる人がいない、となってしまう。それに気付いてから、街や街の人々と一緒に元気になる方法はないか、ということを模索し始めました。
――実際にどのような取り組みから始められたのでしょうか。
まずはサッカーにおいて「今治モデル」というサッカー少年団から中学高校の部活までみんなで一つのピラミッドを作り、そこではわれわれが指導もして「みんなで強くなりましょう」という活動をやりました。「また見に来てください」ではなく、われわれから街に出て行こうということで、1人が5人の友達を作る活動や、ご高齢の方に何でもお手伝いする「孫の手活動」などもやり始めました。
――地域に根差した活動をしていったのですね。経営面ではどんなことがありましたか?
就任1年目のときに、チームのゼッケンを今治のタオルで作りました。ただ、作ってみて分かったんですけど、タオルって裏に糸が出ていて、文字の印刷が載らないんです。でも既にゼッケンのスポンサーをとってしまっていたので、そのままだとゼッケンを裏返すとスポンサー名が出ない、ということになってしまいました。
――スポンサーの名前が出なくなってしまう……。でも作り直すと費用も掛かってしまいますね。周囲の方はどんな反応をしましたか?
周りは「裏返すのは半分以下だから、このままで大丈夫では?」という反応でした。そのゼッケンに100万円は使っていて、1年目の僕らにしたらものすごい大きな額でした。ただ、僕はちょっと待てよ、と。
「目の前の100万円と、お客さんが1回でも見て違和感を覚えてしまう可能性、どっちを取るんだ?」と考えて、作り直しました。周囲の経営者からは「甘い」「そんな経営していたら潰れるぞ」と言われたりもしました。でも、企業理念に立ち戻ると、信頼を重視するのは正しい決断だと思ったんです。
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