インタビュー
» 2017年05月12日 08時00分 公開

3200台のiPhoneで医療現場の負担は減るのか 慈恵医大の挑戦(2/2 ページ)

[やつづかえり,ITmedia]
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看護師たちの行動データを蓄積し、「看護」を見える化

 多忙な医療や介護の現場で生産性を向上させるには、IoTやAIなどの「新技術やパラダイムシフトによるイノベーション」だけでなく、日々の現場業務の無駄を排除し、効率化し、スキルアップを図るといった「改善」も必要になる。なにより、国家資格を取得し、特殊な業務を担う医師や看護師が、それぞれの「専門家にしかできないこと」「専門家としてすべきこと」にどれだけ注力できるかは非常に重要な要因だ。業務の見える化と棚卸し、そして見直しは、生産性向上の入り口といえる。そこで先端医療情報技術研究講座が注目したのが、看護師と看護支援員(看護師のさまざまな業務支援を担当する、看護師資格を持たないスタッフ)の業務だ。

 慈恵医大で大量に導入したiPhoneは、医師や看護師長など、個人に対して貸与しているもののほか、一般の看護師と看護支援員が利用する共有端末がある。2015年に導入したアイホン社のIP型ナースコールシステム「Vi-nurse」は、病室やトイレからのナースコールを、看護師のiPhoneで受信し、どこにいても患者対応ができるようにするものだが、看護師や看護支援員は、Vi-nurseをこの共用端末で利用している。

 しかし畑中氏らが看護現場の課題をより深く知るため、看護現場に足を運んで定点観察をしていたところ、あることに気付いたという。それは、「共有iPhoneを誰が利用しているのか分からないため、手元にスマートフォンがあるのに電話ができない」という現象だ。

 そこで、先端医療情報技術研究講座と慈恵医大看護部、そしてアイホンが、看護スタッフ専用の電話帳アプリ「N-Contacts(仮称)」の共同研究開発をスタートした。「その日誰がどの共用iPhoneを利用しているか」が分かる電話帳を作り、より生産性の高い看護現場の実現を目指したのだ。

 「これは、日本のほぼ全ての医療機関や介護施設の病棟の生産性を向上させる、“コロンブスの卵”的な発明だと思います。慈恵医大のようなスマートフォンではなく、共有PHSなどでも、全く同じ問題が起きているからです」(畑中氏)

 看護師たちは、勤務シフトに入った時に、充電されている共用iPhoneを1台携帯し、電話帳アプリN-Contactsに職員番号を入力してログインする。すると、他の職員のiPhoneにある電話帳アプリにも、その職員の氏名と電話番号が表示されるのだ。シンプルな機能だが、これによって共用iPhoneを使っているユーザー同士でも電話ができるようにした。なお、看護スタッフの共用iPhoneの利用を終えるシフト終了時には、電話帳アプリからログアウトする必要があるが、その時に「看護の質」を5段階で自己評価し振り返る機能も備えている。

 さらに、病院内にBeaconセンサーを設置し、iPhoneの詳細な位置情報を検知できる仕掛けも用意した。iPhoneがあった場所と時間を自動的に記録できるので、「いつ・どこで・誰が」というデータが蓄積できる。そのデータを元に、看護スタッフ自身が「何をしたか」だけを記入すればいい、業務報告アプリ「N-Report(仮称)」も共同研究開発を進めている。

東京慈恵会医科大学 先端医療情報技術研究講座 研究員の畑中洋亮氏 東京慈恵会医科大学 先端医療情報技術研究講座 研究員の畑中洋亮氏

 畑中氏は、これまでの日本の医療や看護、介護の現場では、各スタッフが抱えている業務の可視化や、生産性の測定がほとんど行われておらず、結果として現場も経営者も「生産性向上」の意識が低いままになっている、という問題を指摘する。

 「多くの医療機関では、病院評価機構のような機関による“評価項目”としての生産性向上活動を実施・申告するためだけに、1年に1回業務量調査を行っています。しかし、実際の生産性向上にはつなげていない場合がほとんどです。一方で、現場では改善活動としてさまざまな努力をしていますが、それによって『行動がどう変わったのか』あるいは『医療現場スタッフの働きがいや満足度、モチベーションなどの内的感情がどう変わったのか』を定量的、定性的に計測し続ける仕組みはありませんでした。

 これはつまり、アクセルやブレーキを踏んでも、時速何キロになったのか分からないまま運転しているクルマのような状態で、個人や組織としては、燃費がいいのか悪いのか、全く分かりません。私たちはそこを変えたいと考えました。まず『現場で何が行われているか』『現場が自分の業務をどう評価しているか』を把握することから始めようと、看護師や看護助手の働きの見える化に着手しました。なぜなら看護師や看護助手は、医療職の中でも一番数が多く、効率化のインパクトが大きいはずだと考えたからです。そこで、スマートフォンを使って、現場で便利なアプリを提供しながら、現場の生産性を向上するための基礎データを収集する基盤作りの研究を始めました」(畑中氏)

紛糾する医療の業務データ研究審査 先例を作り、ガイドライン公表へ

 畑中氏らは、看護師と看護助手の業務分析の結果を、大学の研究成果として発表したいと考えている。そのためには、大学内の「倫理委員会」の審査を経なければならない。倫理委員会とは、医系大学や病院などに設置され、人を対象とした臨床研究や疫学研究の内容に対して、倫理的な側面から審査をする機関だが、今回の研究に対しては、多くの議論を呼んでいる。

 「医学的な研究の多くは、医師が実行主体で、被験者である患者さんに投薬や施術など、何らかの介入をして、その結果よくなった、あるいは悪くなった、という前後を比較するものがほとんどです。今回の研究のように、被験者が従業員でもある看護スタッフで、その業務行動や業務への自己評価情報を収集するというのは、iPhoneを導入している慈恵医大だからこそできる、日本で初めてのITを活用した看護管理研究です。一方、研究と業務の境目が分かりにくく、業務の見える化によって生産性が計測され、人事的な観点での評価につながってしまう危険性もあります。従業員でもある被験者に不利に働かないよう、いかに個人情報を秘匿化し、いかに参加同意を取って、その情報を収集し、分析し、発表するか――。その一連の枠組みをゼロから作り直し、また膨大な業務上の行動・感情データが生み出す価値ある知見をいかに引き出すのか。倫理を審査する側もITを活用した情報時代を前提に、前に進む必要があります」(高尾氏)

 ITを使って個々人の行動履歴を蓄積・利用するということにどんなリスクがあるのか、どうすれば問題ないと言えるのか、判断基準を模索中というところだろう。しかし、IoTやビッグデータの時代を迎え、今後はこのような研究も増えていくに違いない。企業内でも、社員の行動履歴を収集し、業務改善や採用活動に役立てるというケースが出てきている。高尾氏らは、今回の研究を実現させたあかつきには倫理委員会での議論と問題点を反映したガイドラインを作成し、他の機関のICTを活用した研究にも役立ててもらえるようにしたいと話した。

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