都内も冷え込みが厳しくなってきた。能登半島地震の被災地は、どれほど寒く、つらい日々だろうかと心が痛む。
先週のアクセストップは、産業技術総合研究所が能登半島地震の被災地の海岸を観測したところ、地面が最大で4mも隆起したことが分かった、という記事だった。地形まで大きく変えてしまった地震のエネルギーのすさまじさにに驚く。
今週17日で、阪神・淡路大震災から29年になる。関西と北陸という隣接する地域で、最大震度7の地震が30年間に2度も起きてしまったということにりつぜんとする。
筆者は当時、大きな被害が出た西宮市内に住み、兵庫県神戸市の学校に通っていた。自宅やその周辺はほぼ無事だったが、学校は半壊した。揺れの長さと強さ、水道・ガスが止まった被災生活、学校が再開された後に見た、通学路の倒壊した建物の数々は、今でもはっきり、カラー映像で記憶に焼き付いている。
毎年、阪神・淡路大震災の特集記事を出している神戸新聞はこの14日、「あの日と今 1995-2024 阪神・淡路大震災29年」と題し、震災当時の被災状況と、同じ場所の現在の様子を比較した動画を公開した。
29年前に横倒しに倒れた高速道路は、きれいに復旧している。アーケードが崩れた商店街も、買い物客でにぎわっている。一帯が焼け落ちた住宅地には多くのビルが建った。仮設住宅のあった公園には、遊具と「鉄人28号」のモニュメントが建っている。大きな爪痕が残った全ての場所で、人々が当たり前の日常を送っている。
29年前、高校生だった筆者は、ただ絶望していた。壊滅的な被害を受けた神戸やその周辺で当たり前の日常が戻り、さらに発展する未来が来るなんて、想像もつかなかった。
阪神・淡路大震災は私にとって「絶望的にしんどいことがあっても、ここまで帰ってくることができる力を、人間は持っている」という記憶になっている。
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