内原恭彦氏の現場デジタル写真時代の表現者 #006(2/2 ページ)

» 2004年03月25日 20時36分 公開
[島津篤志(電塾会友),ITmedia]
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これも不協和音のオンパレード。不ぞろいな風船の形。これが整然とおなじふくらみだったならレンズを向けなかったのではないか。そんな邪推をしてしまった

 逆に、他者の写真作品を見るということは?

 「写真は、撮るのも見るのも好きです。写真集を買うこともありますし、写真サイトは毎日必ず見ています。Web上では、お互いの作品にコメントすることができますし、真剣に写真をやっている者どうしでコミュニティが生まれることもあります」

 今後、写真でやってみたいことは?

 「デジタルではまだモノクロ作品をやったことがありません。余程の機材でないと、階調表現がむずかしいと思うからです。デジタルカメラでモノクロ専用機というのがあったらおもしろいですよね。1億画素くらいで(笑)。動画も、そのうちやるかもしれません」

退廃、混沌の極み。これ以上美しくない光景があろうか。残飯を回収するトラック? にカラスがよく似合う。タイにて
疲弊、風化……。これも内原氏がタイに滞在時に撮った作品。営業中のタクシーのようだが、この窓ガラス、降ろしているのでなく無いんじゃないだろうか

 個展の開催や作品集の発表は、表現者すべてが願うことである。しかし……。

 個展(=写真展)は、よほどの大家でないかぎり空間の確保が至難の技で、年間に何度もできるものではない。そして写真集を出したい作家は世にゴマンといるが、これとて採算の合いにくいビジネスゆえ版元各社は及び腰だ。

 「いまの写真集って自費出版が主流になっていますよね。けっこう名が売れている作家でも、自費出版で発行しているのが現実ですから。でも、デジタルフォトはプリントするよりもパソコンのディスプレイ上で見たほうが美しい、という気もしています。いまの僕にとって、デジタルフォトの最終形態はウェブ上にアップロードされたものかもしれません」

 「液晶がもっと廉価になって大型サイズのディスプレイが普及するようになれば、写真作品を鑑賞するスタイルは変わっていくんじゃないでしょうか。写真集という紙(=本)の体裁にこだわらなくてよくなるかもしれない。そうなれば、作家としてはコスト上の大きな問題が無くなり、作品を世に問うチャンスはさらに広がるでしょう」

 現代美術を志向する内原氏は、写真の“技術職人”になる意志はどうやら無さそうだ。あくまでもこの人は芸術家なんだなあ、と感じた。

無情、末路……。東京と言われれば東京かもしれない。しかしタイで撮ったものと言われれば、そうかもしれない
混沌。色の不協和音。内原ワールドな一枚。内原氏が切り取る東京は、タイと地続きなのである

内原恭彦・うちはら やすひこ

 1965年生。東京造形大学デザイン科中退。20代より、絵画、コラージュ、ドローイングなどのファインアートの制作を始める。

 1990年……JACA日本イラストレーション展大賞受賞。

 1996年……フラクタルデザイン社主催日本デジタルアートコンテスト凖グランプリ。ソニー・ミュージック・エンタテインメント社主催デジタル・エンタテインメント・プログラム受賞。1999年ごろから、デジタルカメラを使って、おもに路上スナップ写真を撮り始める。毎日数時間路上を歩き、数百枚のスナップ写真を撮り、それをその日のうちに自己サイトにアップロードすることを現在まで数年間続けている。撮影した写真はTバイト単位の量となり、Webの総ページ数は2000ページを超える。

 2002年……エスクァイアマガジン・ジャパン主催第一回デジタル写真コンテスト凖グランプリ。エプソン・カラーイメージングコンテスト2002大賞受賞。エプサイトギャラリー「Bit photo 1999-2002」。

 2003年……写真新世紀展グランプリ。東京都写真美術館「写真新世紀展」。

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