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» 2007年10月25日 11時55分 公開

林信行の「Leopard」に続く道 第4回:System 7で幕をあけた激動の1990年代(中編) (3/4)

[林信行,ITmedia]

ハードとOS分離への流れ

 1990年代、アップルを一番悩ませていたのは、広がる一方のMS-DOS/Windowsとの市場シェアの差だった。アップルはなんとかして、Macプラットフォームのシェアを上げようと、さまざまな戦略を繰り出した。

 Windowsユーザーにアップルの技術のすばらしさを知ってもらおうと、QuickTimeをはじめとするいくつかの技術をWindowsに移植した、また、アップルがいずれはMacにとって変わるかもしれないという思いで開発していた「Newton」も、MacだけでなくWindowsにも対応した。

 PC用のハードウェアを内蔵し、ボタン1つでMS-DOS機/Windows機に切り替わるMacも発売した。Power Mac発売時には、PCエミュレータソフトのプロモーションにも積極的に乗り出した。インテルの出資を受けて、インテルPC版のMac OS(コード名「スタートレック」)を開発していたことさえある。

 PCよりも気楽に買えることを狙ってだろうか、Pippinというゲームプラットフォームを開発し、バンダイが「ピピン・アットマーク」として商品化した。

 この時代にアップルが打ち出した戦略は枚挙にいとまがないが、なんといっても無視できないのが互換機事業だ。

 アップルという個性の強いメーカーが好きになれない人や、通信販売チャンネルなどの既存のチャンネルではリーチできない顧客層にアピールするために、アップルは互換機を出そうという決断をした。

 IBMが、IBM互換機として登場したCOMPAQらに食い物にされ、仕様策定の主導権まで奪われてしまった過去を見ているだけに、最初のアップルは慎重で、ソフトウェア販売の子会社であるクラリスを直販系の互換機メーカーとして独立させるという案も考えていたようだが、最終的には、互換機事業をやるからには他社に作らせないと意味がない、ということになった。

 この互換機事業にはいくつかのフェーズがある。まず第1段階では、Macのハードの中身だけを、アップルが吟味したMacの市場を広げてくれる可能性があるメーカーにだけ供給するという戦略を取った。放送業界向けにビデオ編集機能を強化したMacを販売するとしていたRadius、アップルが苦手としていた直販チャンネルでMacを発売すると提案してきたPower Computing(スティーブ・カーンが独立して起こした)、音響機能にこだわるコンシューマをターゲットにしたパイオニアなどだ。

 互換機事業を開始すると、アップルは基板部分などの標準部品化を進め、より多くの互換機メーカーが参入できるようにした。これにあわせてUMAX、Daystarといった周辺機器メーカー系互換機から、APS Technology、PowerToolsなどの販売店製の互換機、CPUや基板の供給元でもあるMotorolaの互換機も登場し、Mac互換機で起業する人たちも増え始めた。

 互換機の開発体制も最初はアップルが基板を用意していたが、やがてIBMやMotorolaから直接基板の供給を受けられる体制を用意し、最終的にはPPCP(PowerPC Platform)と呼ばれる、アップルやIBMが中心になってデザインしたPowerPC搭載PCの標準仕様に沿った製品であれば、どんなPCでもMac OSが動く方向に持っていこうとしていた。

 PPCPでは、Mac OSのほかに、IBMのOS/2やAIXというUNIX系OS、さらにはマイクロソフトのWindows NTも動く予定だった。1台のマシンでMacもWindowsも動けば、ユーザーはPowerPCに流れ、コンシューマは使いやすいMacに流れてくれるだろう、という考えもあったのだろう。

 もっとも、PPCPのPC規格上で「System 7.x」というOSを売っても、Macのブランドを認知させるのには役立たない。そこでPPCPにほぼ対応したOSバージョン7.6からは「System 7.6」ではなく、「Mac OS 7.6」と呼ぶようになった(ちなみに最終的なPPCP対応が行なわれたのはMac OS 7.6.1だった)。

 問題はその後にやってきた。IBMとMotorolaからはすでに安価でより高いパフォーマンスを発揮するPowerPC G3というCPUの供給が始まっており、互換機メーカーもPowerPC G3搭載をもってPPCPへの移行を果たそうと決断していた。

 しかし、その直前にアップルに復帰していたスティーブ・ジョブズがアップル社内での影響力を増していき、それを許さなかった。ジョブズは、この互換機事業がMacの市場シェア拡大には貢献しておらず、狭い市場を食い合っているだけで、価格競争でお互いを消耗させている、Macの生態系的によくないと判断し、互換機ビジネスの幕引きを計る。

 ここで問題となったのが互換機メーカーと交わした契約書だ。アップルは互換機メーカーに対して、Mac OS 7.xを提供し続ける旨の契約を結んでいた。そこでジョブズは、このバージョン番号に着目し、元々Mac OS 7.7として開発していた新OSの名称をMac OS 8と名称変更し、契約を反故にした。

 Mac OS 8とは、元々はCoplandにつける予定のOS番号だった。しかし、Coplandの開発は1996年に頓挫し、Mac OS 7.7には、Coplandに実装予定だった機能の多くが搭載される予定であったのだ。

 とりわけ重要なのが、Mac OSの外観を自由に変更できるようにするAppearance Managerという機能の搭載だ。この機能のおかげで、Mac OSはプラチナアプアランスと呼ばれる新しい外観を手に入れ、それだけでメジャーアップグレードをしたという印象が強まった。

関連キーワード

CHRP(Common Hardware Reference Platform)、PPCP(PowerPC Platform)、Open Firmware、Power Computing


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