「Kindle」は何も新しくない、「iPad」ならではの表現を目指す:「元素図鑑」作者インタビュー(後編)(1/3 ページ)

» 2010年07月27日 11時55分 公開
[林信行,ITmedia]

 ハリー・ポッターの世界に出てくるような魔法の本を夢見ていたというセオドア・グレイ氏(THEODORE GRAY)。iPadの登場をきっかけに「元素図鑑」という電子書籍を作ったところ、まさに魔法が起きた――それまで数年間かけて出してきた収益を、たった一晩であげてしまったのだ。

 同じ魔法をもっと広げていきたい。「電子出版」に大きな可能性を感じた彼は、TouchPressという新会社を立ち上げ、これまでの紙の本ではできなかった新しい時代の本作りに本腰を入れるという。

「Kindle」は何も新しくなかった

――iPadが登場したことで、日本でも今年は「電子出版元年」と大きな騒ぎになっています。

セオドア・グレイ氏

グレイ ようやく、という感じですね。音楽の世界は、すでにデジタル流通が当たり前になりました。そうなる前には、ちょっと苦しい時期もありました。音楽を聞こうにも、その音楽がデジタル形式で入手ができないので、違法な手段に手を伸ばすか、わざわざエンコードするために物理的なCDを買いに行くしかありませんでした。でも、今ではほとんどの音楽がiTunes Storeで買えてしまいます。

 新聞業界も、Webの登場以来10年以上、デジタル化の波にさらされていました。Webのニュースであれば、いろいろな新しい表現にチャレンジができます。例えば、動画の利用も、リアルタイムでの情報のアップデートも、Webだからこそ可能になったニュース表現です。Webの登場後は、こうしたデジタルならではの強みを生かして生まれ変わるか、消えてなくなるか、という状況に新聞社は追いつめられてきました。そんな中、なぜか本の出版だけは、これまであまり影響を受けずにのほほんとしてきたのです。

 Kindleのような“間違った技術”も、我々を回り道させました。Kindleは、確かに文字のサイズを変えたり、フォントを変えたりはできますし、軽量でどこへでも持ち歩けますが、紙の本と同じような制約も多く、これを使って何か新しい表現が可能になる、というような代物ではありませんでした。

 Kindleの登場は、私にとって、電子書籍が何も新鮮味のない、つまらないものへと進化するかもしれないという恐怖を感じさせました。

 しかし、iPadがその流れを変えてくれました。我々はiPadに可能性を感じたからこそ、そのチャンスを生かして、この技術ならこんなにおもしろいことができる、という実例を生み出すことにしたのです。我々のように新しい表現にチャレンジしたい方にとって、今は素晴らしいチャンスの時代ですし、逆にそういうことができない方々にとっては恐ろしい時代なのかもしれませんね。

無料のコンテンツから大金を生み出すApp Storeの不思議

――「電子出版革命」と言われたのは今年が初めてではないですよね。

グレイ 確かに1990年代にも「電子出版革命」と言われたころがありました。マルチメディアCD-ROMの時代です。私もマックス・ウィットビーらと、いくつかタイトルを作りましたが、この革命は完全に失敗に終わりました。

 失敗の1つめの要因は、制作コストがかかりすぎたことです。そしてもう1つの要因は、きちんとした流通のメカニズムがなかったことでしょう。

 今回の“革命”で違うのは、まさにそこのところです。制作コストをかけずにコンテンツを制作できる土壌があります。また、電子書籍を読むのに理想的なハードウェアもあれば、流通のインフラもできあがりました。

App Store

 App Storeは魔法のような流通インフラです。その魔法にかかると、インターネットで無料で手に入るモノに、10ドルや15ドルの値段をつけてもポンポンと売れるようになるのです。

 これまでのPC用ソフトでは、それくらいの価格のソフトを流通する有効な手段がありませんでした。Webで課金をする仕組みはありますが、人々はWebにあるものはすべて無料だと思っているので、なかなかお金を払ってくれません。

 しかし、これがApp Storeを通すと、ガラっと常識が変わるのです。「元素図鑑」で使われているグラフィックス素材や文章のほとんどは、Periodictable.comのWebサイトを訪問すれば、無料で見ることができるものばかりです。

 しかし、これがApp Storeに並ぶと、人々は喜んでお金を払ってくれます。だからこそ、改善や次の開発にもお金を投じることができるのです。App Storeは、アップルの最高の発明品の1つで、「インターネットでは無料でも、App Storeならお金を払う」という素晴らしい心理的シフトをもたらしてくれています。

――App Storeだと、お金が払われる秘密は何だと思いますか?

Periodictable.com

グレイ 分かりません。それが分かったら、おそらく世界で1番の大金持ちになれるんじゃないでしょうか。アップルですら分かっていないんじゃないかと思っています。

 アップルは、すでにこの魔法をiTunes Storeの音楽販売で実現していました。秘密のカギの1つが1クリック購入にあることは確かだと思います。これはAmazonが発明したモノで、あらかじめクレジットカード情報を登録しておけば、1クリックするだけで、簡単に購入できてしまう――この仕組みのおかげでAmazonも大成功を収めています。

 物流などがかからず、アップルに支払う“税”も売り上げの3割と安いので、製品を安価に売れるのも秘密の1つでしょう。ただ、App Storeの値付けはナゾに満ちています。なぜ多くのゲームタイトルが4.99ドルなのか、なぜ書籍のほうが高い値段でも売れるのかなど、すべてがナゾに満ちています。

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