いま最も勢いのあるIT企業、Evernoteの秘密に迫るEvernote Trunk Conference訪問記(前編)(1/2 ページ)

» 2012年09月06日 19時52分 公開
[林信行,ITmedia]
Evernoteを支えるスタッフたち。実は同社が新社屋に移ってから初めての全社員集合だったりする

 日本で絶大な人気を誇り、昨年は米Inc.誌のCompany of the Yearに選ばれ、5月にも楽天社長兼会長である三木谷浩史氏ら国内外の著名な経営者から総額7000万ドル(約56億円)の資金調達を行ない、先週には6つ目の支社を台北にオープンするなど、勢いの留まることをしらない米Evernote。同社が持つ強さの秘密の1つは、なんといってもCEOのフィル・リービン氏――スティーブ・ジョブズとはひと味違うカリスマ性――と、Evernoteの活気あふれるスタッフたちだろう。

 筆者は、この勢いに乗ったベンチャーの空気感を、日本のベンチャー経営者にも感じ取ってもらうべく、1週間強の密着取材を敢行した。

 以下は、Evernoteにとって1年で最大のイベント、8月24日開催のEvernote Trunk Conference(ETC)から9月1日に日本で行われた記者発表会までのおよそ8日間、Evernoteの主力スタッフを密着取材した記録だ。

出発前からサプライズは始まっていた

 驚きは旅のスタート前から始まっていた。Evernote Trunk Conference(ETC)は、Evernoteと連携するアプリケーションの開発者向けの開発者会議だ。同イベントにあわせてDevCupと呼ばれる優勝賞金2万ドル(約200万円)の開発者コンテストも併催されているが、日本好きで知られるEvernoteは、毎年、日本の開発者向けにJapan Prizeという特別枠を用意している。同賞の受賞者は副賞の10万円に加え、ETCへの渡航費や宿泊費をEvernote持ちで招待される。せっかくなので、Japan Prize受賞者の渡航の様子から取材をすることにした。

 このJapan Cup、今年の受賞作は小麦株式会社 新井浩司氏と竹本雅彦氏が開発する「memogram」。iPad専用のアプリケーションで、日本のデザイナーならではの非常にクリーンで洗練された画面デザインと操作性で、関連する情報を視覚的に整理できる(まだAppStoreでは公開されていない)。

 開発した両名が米国ETCに渡ることになっていたが、サービス精神あふれるEvernoteと同社の取り組みを応援する日本航空(JAL)の協力により、空港についてからすでに驚きの連続だった。

サンフランシスコ行きのチケットは、Evernoteと日本航空のはからいでビジネスクラスにアップグレード(写真はJapan Prizeを受賞した小麦株式会社の新井浩司氏)

 サンフランシスコへの渡航は、羽田空港深夜0時5分発、サンフランシスコ午後4時5分着。そのままがんばって、夕食を食べるまで起きていれば、ほとんど時差ぼけをしないとシリコンバレー関係者のあいだで評判がいい「JAL002便」のエコノミークラスという案内を受けていたが、Evernoteと日本航空の特別のはからいで、ビジネスクラスにアップグレード。同行の記者ということで筆者もそのおこぼれでアップグレードを受けた。

 さらに、日本航空でスマートフォン用にJALブランドのアプリを開発している日本航空株式会社Web販売部の藤山健治主任と、清水俊弥アシスタントマネージャー、そしてJALスカイの大山氏が、空港ラウンジ内の特別な部屋までエスコートをしてくれるという通常得られない体験をした(あまりの厚遇に、20代の若い受賞者の2人は部屋の大きさに圧倒され、部屋の隅のイスに詰めるようにして座っていた)。その後、JALの方々からJapan Cup受賞を祝う記念品として飛行機の模型やBeatlesが来日した時に来ていたのと同じハッピなどが贈呈された。

 快適な空の旅を終えてサンフランシスコに着いた後は、サンフランシスコのUstreamやGREE、サイバーエージェントUSAなど多くのIT企業が集まるエリアのホテルにチェックイン。EvernoteでChief Food Advierの肩書きも持つ外村仁さんの勧めで海岸沿いにある、サンフランシスコで最も注目されている日本食の店、Delica rf1で夕食を取り、就寝となった。

日本航空株式会社Web販売部の藤山健治氏と清水俊弥氏がエスコート(写真=左)。JALのVIPルームに通されてとまどう新井浩司氏と竹本雅彦氏(写真=中央)。到着後はサンフランシスコで評判の日本食店で夕食(写真=右)

インスピレーションを大事にする社風

Evernote本社の新社屋

 到着翌日、8月23日はEvernote Trunk Conference開催前日ではあるが、海外からやってきたゲストのために、Evernote本社にて本社スタッフとのミーティングや、本社内ツアーが企画されていた。

 サンフランシスコから、Evernote新本社があるRedwood Cityまで電車で向かうと、駅には迎えのバスが待機。そこから乗車10分ほどで新本社に到着した。元々は銀行だったという5階建ての建物だ。まだ社員230名の会社で、中はスカスカ。そのため2階と3階は利用せず、しばらく別の会社に間貸しする予定だそうだ。

 Evernoteのことだし、外には大きな象の看板でも出ているのかと思ったら、会社の看板はなし。どうしたことかと思ったが、これについてはEvernote Trunk Conferenceで、CEOのフィル・リービン自身が解説をしていた。

 実は看板はすでに発注済みで、クレーンが会社のビルのてっぺんに取り付け作業を始めていたそうなのだが、たまたま駐車場からその様子を見かけたリービンはその瞬間、「いかにもCEOっぽいことをしてしまった」と回想する。ロゴのデザインがどうしても気に入らなかったらしく、クレーンに「待った」をかけ、看板の取り付けを中止させたらしい(何せアプリ付属のサンプルデータの寿司ネタにまで徹底的にこだわる会社だ。中途半端なことで妥協はしない)。

 本社内は壁全体が、社員たちが思いついたことを自由に落書きできるようになっていたり、エンジニアが運動不足にならないように、メールチェックなどの簡単な作業を歩きながら行えるウォーキングマシンがあったりと、さすがはシリコンバレー企業と思わせる工夫がそこかしこに見られる。会社の周囲には何もないので、自転車で通勤する社員も多いようで、裏口には屋内自転車スペースや社用自動車ならぬ社用の緑の自転車まで置かれていた。

社内の様子。ウォーキングマシンや自転車専用の駐車スペースなど、いかにもシリコンバレーの企業らしい風景だ

 社内の雰囲気については、こちらの記事が詳細に触れているのので、参照してほしい(ここでEvernoteは作られる! シリコンバレー新オフィス潜入記 前編後編)。代わりに、筆者なりの視点で情報を加えると、飲み物専用の冷蔵庫に「おーい、お茶」が入っているのは、同社としては当然のことだが、社食のたなを見ると何気なく本格芋焼酎「黒霧島」の箱が置いてあったりと、「ここは本当にアメリカなのか?」と思わせることが多いのは、さすがだ。

 そのEvernote、あれだけ食にこだわっている会社であるにも関わらず、防災上の理由から、新社屋では火を使ってはいけないらしくキッチンがない。このため前オフィス同様、ランチはChief Food Officer、外村仁氏がケータリングのコンサルタントと組んで選んだ日替わりの特上ケータリングランチが基本になっている。ただし、そんなEvernoteで唯一、社内のキッチンが使われるのが月に1回ある寿司ランチの日。実はETC参加者が世界中から集まってくるのにあわせて、筆者らの訪問日にこれが振る舞われた。

極上のネタを、シリコンバレーでは有名だった懐石料理の店、「吉祥」のシェフらが握るという本格的なもので、この日はリービンCEOの奥さんも厨房に入り寿司作りを手伝っていた。

 トップクラスのおもてなしをしながら、どこかにアットホームな温もりを感じさせるのが、いかにもEvernoteらしい。ちなみに寿司以外にもハラコ飯(サーモンとイクラによる鮭版の親子丼)なども振る舞われ、ますます「ここは本当にアメリカなのか?」と思わされた。

寿司を握るCEO夫人(写真=左)。本格的な日本食だ(写真=中央)。なぜか「黒霧島」(焼酎)の箱もある(写真=右)

 Evernoteの食へのこだわりは、これだけではない。Evernote社内で最も「食」にこだわっている製品といえば、日々、何を食べたかを写真で記録するアプリ「Evernote Food」だろう。このアプリの開発チームを訪問して驚かされた。

 開発チームの机には、合羽橋で買いあさってきたというフードサンプルがズラリ。今まさにアイスボックスから取り出したかのようなビールも、実は全部作りもの(もっとも、いくら日本の職人の技がすごいと言っても、すべてのフードサンプルがこのクオリティというわけではないそうだが)。1番形のいい牡蠣、1番タレが美味しそうに描かれているうな丼と、まるで市場で食材選びをするように1つ1つEvernoteのスタッフが吟味し、数時間かけて20万円分購入してきたという。これがアプリ制作の何に役に立つかというと、よいアプリを作るためのインスピレーションとモチベーションがわいてくると担当者は語る。

 フードサンプルの横に何気なく置かれた豪華本のセットは、なんと5冊で6万円近くもする食通の間では有名な本「MODERNIST CUISINE」という本らしい。調理をしている最中の鍋を横にスパっと切って調理中の具材がどのような状態になっているか分かる本で、その大胆な撮影方法などが話題になっているらしく、なんとEvernote Foodのデスクだけでなく、フィル・リービンCEOのデスクにももう1セット置いてあった。

Evernoteスタッフが日本で買いあさってきた精巧な食品サンプル(写真=左)。資料本も充実している(写真=中央)。社内にある会議室の1つ。すべてアーケードゲームの名前になっている。こうしたところにも遊び心が見える(写真=右)

 もちろん、こうしたフードサンプルに囲まれ、食通向けの高価な本を読んだからといって、プログラムを書くのが速くなるわけでもバグが減るわけでもない。しかし、こうしたものを通して、人々をワクワクさせるものは何か、自分だったらどうやってもっとワクワクするものを作るかといったインスピレーションを得ることはできる。そうした環境を重視するのが世界的ベンチャー企業であるEvernoteの職場なのだ。

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