街中ロストガジェット:消えた「大将軍駅」最後の姿に見る“昭和の夢、昔の未来”(1/2 ページ)

» 2016年08月25日 06時00分 公開
[赤祖父ITmedia]


 昭和のわずかな期間、姫路にモノレールが走っていた。


 姫路モノレールは1966(昭和41)年5月に開業。JR(当時は国鉄)姫路駅付近から、姫路大博覧会の会場であった手柄山までの約1.8kmを結ぶものだった。当時の急激な自家用車の普及による渋滞問題を解決するための市街地と郊外を結ぶ足として発展させる計画もあったようだが、結局1974(昭和49)年に休止、1979(昭和54)年に廃止となった。


 運行当時の様子がうかがえるパネルのうち、左上の写真に写っているのは「大将軍駅」という駅である。アパートのビル直結という大胆な発想とデザインだ。たったの8年間しか運行しなかった姫路モノレールだが、この大将軍駅は更にそのうちのたった2年間しか営業せず、あとは通過駅扱いとなってしまったという。


 その「大将軍駅」の跡であり、かつ現役で住人がいた高尾ビルも、老朽化と耐震性を理由に取り壊しが決定したという。そのような中で、関係者の尽力もあってこの大将軍駅跡が特別に一般公開されることになった。今回は大将軍駅の最後の一般公開を取材できたのでレポートしたい。

連載「街中ロストガジェット」とは

街を歩いていると、時代に取り残されたような、人々から忘れ去られたようなガジェットを見かけることがある。そんな「街中ロストガジェット」のある風景を訪ねていく。

ライター:赤祖父

1980年生まれ。情報サイト「ハイエナズクラブ」編集等をはじめ趣味でネットにいろいろ書いている。本職はシステムエンジニア。「迷ったら買ってみる」が信条の新しもの好きだが、街歩きやレトロなものも好きで、その集大成が本連載のテーマとなっている。


姫路モノレールは構想からその成り立ちまで、まさに昭和の夢

 大将軍駅内部の前に、まずモノレール廃線跡をたどりたい。


 JR姫路駅周辺と、姫路モノレールの位置関係はこうだ。大将軍駅につづく廃線跡もくっきりと地図に残っている。


 JR姫路駅の西側から手柄山に至る姫路モノレール廃線跡には、今もその遺構が多く残されている。まさに昭和遺産とでもいうべき光景だ。


 架線や支柱は老朽化で危険なこともあり、撤去が進んでいるようだ。「高架下」の店舗群もほとんどは閉店していた。


 更に終点の手柄山駅と姫路城の位置関係を含めるとこのような位置関係になる。「どうせなら手柄山まででなく姫路城まで伸びていれば……」との意見をよく耳にする。確かに国内のみならず世界からも観光客が訪れる「姫路城行き」だとしたら、姫路モノレールはまったく違った姿で活躍していたのかもしれない。


 新幹線の高架下をギリギリで通過していたようだ。(2013年撮影)


 モノレールの路線は街を縫うように曲線を描きながら、手柄山方面に向かっていた。(2013年撮影)


 旧・手柄山駅は現在「手柄山交流ステーション」の中にあるモノレール展示室として見学できるようになっている。


 今はふさがれたトンネルの向こうに、旧・手柄山駅が存在した。(2013年撮影)


 車両はこのように展示されている。航空機で知られるロッキード社製で、流線型の丸みを帯びたデザインは非常に味がある。(2013年撮影)


 車内も見学可能だ。思ったよりはゆとりがあるが、運賃が当時同区間のタクシーよりも高いということも廃止の一因であったという。一度動いているところを乗ってみたかったものだ。(2013年撮影)


 手柄山には回転展望台のある喫茶店「手柄ポート」などもある。デザインや回転する座席などもまたレトロフューチャー感たっぷりだが、閉店もうわさされている。(2013年撮影)


 手柄山交流ステーションから手柄ポートを望む夕景。手柄ポートの斬新さが際立っており、ここに立っていると「昭和の夢の続き」が少しだけ見られたような気がした。(2013年撮影)

大将軍駅跡レポート

 手柄山交流ステーションのモノレール車両などは現在誰でも見学できるよう整備されているが、大将軍駅は今回の見学会が最初で最後の公開となる。

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