少年時代から続けていた「ゲーセン小僧」は、大学時代も継続していた。なまじっか副業での金回りがよかったために、とうとうアーケードゲーム基板までを買いあさるようになった。当時夢中になった、カプコンの格闘ゲーム「ストリートファイターII」の新品基板とコントロールボックスを大学の研究室に持ち込んだときは、担当教授にも驚かれた(笑)。
一方、PCゲームはOh!X編集部から評価/レビュー記事作成用に貸し出されたものをプレイできた。シャープのPC用に発売されたゲームはかなりのタイトルを遊べたので、ある意味で“役得”である。
当時の編集部にはゲーマーも多かったため、対戦系のゲームは腕前も上がりやすかった。「ボンバーマン」は、東京大会で“準”優勝した(優勝できなかった言い訳:大会当日に風邪を引いていた)。「ポピュラス」については、開発者のピーター・モリニュー氏との“公開親善試合”で操作不能にまで追い込み、「ポピュラスはそうやって遊ぶものではない!」と言わしめた。このことは、自分の人生で唯一自慢できることである。
50を超えた今も、ゲーム好きは継続中だ。最近では、米ラスベガスで行われた「EVO 2018」や、福岡県で開催された「EVO Japan 2019」において、カプコンの格闘ゲーム「ストリートファイターV」のプール抜けを果たした。もしかすると、予選突破した中では最年長だったかもしれない。
一方で、最新作である「ストリートファイター6」は、マイキャラのバルログが出なかったのでプレイしていない(笑)。
いずれにせよ、筆者がTVやディスプレイを評価する際に、20年以上前から入力遅延を異常なまでに気にしているのは、こうしたゲーム好きが発端となっている。
「意外」と言われることも多いのだが、そんな「ゲーセン小僧+パソコンゲーム生活」を送っていたこともあって、筆者はゲーム好きでありながらも家庭用ゲーム機に関しては全く無関心だった。
なので、ファミコン(ファミリーコンピュータ)を始めとする家庭用ゲーム機向けのゲームはほとんど遊んだことがなく、「国民的RPG」と称されるアレやソレもプレイした経験がない。これは「ゲーセン小僧あるある」だと思うのだが、当時の筆者は「本物のゲームはアーケード版(業務用)」「移植された“劣化版”が遊べるのが家庭用ゲーム機」という認識だったので、ある種の“食わず嫌い”だった側面は否めない。
しかし、筆者の食わず嫌いを超えてくる“大事件”が、1993年に勃発した。任天堂がスーパーファミコン用「スターフォックス」を発売したのだ。スターフォックスは、ゲームカートリッジに「スーパーFXチップ」と呼ばれる3Dグラフィックスアクセラレーター(コプロセッサ)を内蔵しており、それを駆使して2Dゲーム機でしかなかったスーパーファミコンにおいて、3Dグラフィックスベースのゲームを実現していたのだ。
当時、3Dグラフィックスは専用ハードウェアを備えるアーケードゲームでも黎明(れいめい)期という状況で、当時から先端技術好きだった筆者は“初めて”の家庭用ゲーム機としてスーパーファミコンを購入した。
ちなみに、スーパーファミコンで遊んだゲームは、ほぼスターフォックスだけである。というのも、この先端3Dグラフィックス技術を民主化した「プレイステーション」や「セガサターン」が1994年末に発売されたからだ。当然、筆者は新世代3Dゲーム機の2台両方を購入し、本体同時発売タイトルも結構な数を買い込んで、年末年始はゲーセンではなく「おうちゲーム三昧」な日々を送ったのであった。
この体験時の体験が、3Dグラフィックスを司るプロセッサ「GPU」に引かれるようになったきっかけとなったと、今では考えている。プレイステーションとセガ・サターン以降の家庭用ゲーム機は、全て購入している。
そうそう、2025年発売の「Nintendo Switch 2」は、4回目の抽選のタイミングでやっと当選して購入できた。
大学卒業時は、ゲーム音楽を作る人になりたくてナムコを受けて内定をもらった。しかし、サウンドチームではなくゲーム開発部門に配属されるとのことで、生意気にも内定を辞退してしまった。その後筆者は自費で大学院に進み、お堅い企業の日立製作所に就職した。
日立在籍中は、先述の3Dゲーム機の事がきっかけで3Dグラフィックス関連書籍を読み漁るようになり、社内の関連部署に転属を希望したが、却下されて意気消沈してしまった。
そう、日立はセガサターンにメインプロセッサ「SH-2」を提供していたのだ。その関連部署への転属を希望したところ、実際問題、会社で何も実績もない“新米の若造”の要望は、当然のごとく黙殺された。今思えば、それは当たり前のことだった。
その後、筆者のゲーム好きとコンピュータ音楽好きがさらに加速し、さらに先述した3D中毒気味になり始めて、社内で浮きまくっていたこともあり数年後に日立を退社した。
独立(?)後しばらくはゲーム開発やコンピュータ音楽の制作を行っていたが、全く日銭にならなかった。そのうち、高校時代からサラリーマン時代でさえ継続していた「副業」たる記者業/執筆業が「本職」となってしまい、現在に至っている。
皆さん、人生は計画的にコマを進めましょうね!
筆者は幾つかのマイナーゲームに楽曲を提供したことがあるが、たぶん、ユーザーの記憶に一番残っているのは「SIONシリーズ」の楽曲だと思われる。インターネットで検索すると、有志がYouTubeなどにアップロードしてくれているので聞くことができる。2006年にサイトロン・デジタルコンテンツから発売された「LEGEND OF GAME MUSIC ~CONSUMER BOX~」(写真)にも何曲か収録されている。
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