ITmedia PC USERが30周年を迎えたという。“PC” USERだが、あえて「パーソナルコンピュータ」と書きたい。パーソナルなコンピュータは、時代とともに変化するものだ。細かいこだわりだが、「僕のパーソナルなコンピュータ」という文脈で読み進めてほしい。
PC USERとの付き合いは古く、雑誌としてのPC USERの前身である「Hello!PC(ハローPC)」時代から寄稿させていただいている。Hello!PCに寄稿し始めた当時の編集長は、ハードウェアの細かな違いにこだわり、ベンチマーク結果に現れない製品価値を誌面に反映することに熱心だったことを思い出す。
ある時、製品レビューで Digital Equipment Corporation(DEC/現HP)製タワー型PCのメンテナンス製と静粛性を意識したエアフローををほめると、すぐに各社(あるいはパーツとしての)ケース構造、静粛性に着目した比較記事を企画して、静粛性と周波数帯域の関係性を調べるべく、ノイズの周波数特性を計測したりもした。
またノートPCの特集で、排熱構造と快適性の関係を調べるなんて所に目を向け始めると、測定器メーカーとの協力を模索したりもした。ともかくPCというハードウェアをさまざまな“切り口”で比較評価をするために、その“切り口”を見つけようとしていた。
もちろん、そんな“切り口”を見つけてこられたのは、当時のPCがまだ不完全な製品だったからだ。不完全さは、メーカーの工夫による差別化の余地を生み出す。成熟が進んで完成度が高まってくると、製品としての品質は一定水準に収束し、だんだんと違いは少なくなってくる。
あれから30年――今のパーソナルコンピュータは、当時から見ればまるで天国のように快適だ。
このように書いている筆者のパーソナルコンピュータとの付き合いは、Hello!PCの誕生からさらにさかのぼり、かれこれ40年以上になる。その間の技術の進化が、どれほど私たちの生活や価値観を変えてきたか。性能の意味が、なぜ時代ごとに変わるのか。その実感を、自分の歩んできたマシンたちとの対話を通して振り返ってみたい。
筆者が最初にコンピュータと出会ったのは学生時代だ。学校の計算機室にあったのは、ICチップすら使っていない、基板上に素子を並べてロジックやメモリを組んでいた巨大なコンピュータシステムだった。NECの「NEAC(ニアック)」ブランドのミニコンピュータだと記憶している。巨大なのに“ミニ”というのは、当時としてはコンパクトだったということだ。
授業でのプログラムはパンチカードに入力し、紙テープで保存するというクラシカルなものだったが、一方で各研究室には、より小さなコンピュータが入り始めていた。
NECの「PC-8001」は16万8000円(もちろん、当時消費税はない)からだった。Z80互換CPUを4MHzで駆動し、日本語対応の「N-BASIC」を搭載していた。RAM(メモリ)は最大32KBで、当時の国産PCでは頭一つ抜けていた。
富士通の「FM-8」は高性能だったが、本体価格は21万8000円からとやや高め。CPUとしてMC6809を2基搭載するという設計は魅力だったものの、高価なCPUを2基も搭載したことで、価格がつり上がってしまった格好だ。後からリリースした「FM-7」で低価格化したものの、NECに先行を許したことで、その後も販売面では苦戦した。
シャープの「MZ-80シリーズ」はユニークな設計で、ROMを持たずに全てのソフトウェアをカセットテープからロードする仕様だった。特定の組み込みソフトウェアに依存しないクリーンな設計は、一部のマニアには刺さった。しかし、一般向けとは言いがたかった。
研究室ごとに異なるPCがあり、それぞれに個性があった。自分のパーソナルコンピュータではなかったが、それらを操りながら、自分自身のパーソナルコンピュータはどうあるべきかを考えていたものだ。
当初、パーソナルコンピュータは学術やビジネスシーンにおけるパーソナルな製品だという意識があったが、次第に“家にあるもの”という意味でパーソナルなものという意識も高まってきた。
筆者が毎日アルバイトしてためたお金を、どのパーソナルコンピュータに投じようか――悩んだ末に決めたのが、ソニーの「SMC-777」だった。PCとしてはマイナー過ぎて、知らない読者も多いだろう。そもそも、昔話にも程があるのだが。
大昔のPCファンは、PCを道具として実用的に製品を見るのではなく、“思想的なもの”として捉えることが多かった。筆者もご多分に漏れず、自分が信じるコンピュータアーキテクチャの思想に従って選んだ次第だ。
Hello!PCが創刊された1994年頃は、そうした「思想的なPC選びの時代」から、道具としての実用性が大幅に増し、世の中のインフラとしてPCが組み込まれていく「成熟期」に向かう境目だった。
……と、話をSMC-777のことに戻そう。今振り返っても、我ながらマニアックな選択だったように思う。
ソニーは、業界内ではPC投入が“最後発”だった。既に市場の大勢は決まっており、先行していたNEC/富士通/シャープ以外に、勝ち目はなかったように思う。
しかし、SMC-777の先代に当たり、ソニー初のPCとなる「SMC-70」にはコンピュータはこうあるべきという思想が、ふんだんに盛り込まれていた。
1982年に登場したSMC-70は、BASIC ROMではなくDigital Researchが開発したOS「CP/M」をロードして稼働すること、電源ユニットとCPUユニットを挟み込むようにして拡張モジュールを増設できること、記憶装置として3.5インチフロッピーディスクを採用したこと、そしてRAMキャッシュドライブも用意したことなど、機能面だけでも憧れの存在だった。しかし、それゆえに高価すぎて購入できなかった。
そんな憧れのマシンが手に届く価格帯に降りてきた――それが、SMC-777だったのだ。
SMC-777は、CP/Mと互換性のある独自OS「SONY FILER(ソニーファイラー)」を搭載していた。当時のPCはOSの代わりにBASICを使っており、OSを使っているということ自体が独特だった(シャープはROM非搭載だが、それでもBASICマシンには違いない)。
標準価格は19万8000円で、CPUは「Z80A」、RAMは64KB、VRAM(今風にいえばグラフィックスメモリ)は32KBというスペックで、グラフィックス(アナログRGB出力)は4096色のパレットから16色を選べるという仕様だった。デジタルシンセサイザーであるFM音源も搭載されており、音楽にも映像にも強かった。
コンピュータとして真っ当な設計であることに加え、ソニーらしく「PCを使ったエンタメ」という方向を示した製品でもあった。SMC-777には多くの言語ソフトも提供され、別途購入すれば“本物の”CP/Mも利用できた。C言語やアセンブラなども提供され、コンピュータの基礎学ぶ機会を得たことは、今の自分の土台になっている。
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