時代と共に移り変わる“性能”の意味 メーカーやアーキテクチャへのこだわりはもはや不要?私のPC遍歴30年(2/3 ページ)

» 2025年08月01日 17時45分 公開
[本田雅一ITmedia]

衝動買いした「X68000」が人生を変えた

 次の大きな節目となったパーソナルコンピュータは、ローンを組んで手に入れたシャープの「X68000」だ。36万9000円と、今の金額にしてもかなりの出費だ。正直にいえば、かなり“背伸び”した買い物だったと思う。

 X68000のグラフィックス機能は、最大6万5536色表示とスプライト機能に対応しており、アーケード(業務用)ゲームさながらの表示を実現していた。そして、CPUは“憧れの”Motorola製「MC68000」(10MHz)を搭載していた。メモリや各種ボードの拡張性にも優れ、独自開発ながらOSも整っていた。

X68000 初代「X68000」は1987年に登場した(出典:シャープ

 X68000は世の中の主流ではなかったが、私がこの機械に引かれたのはスペックだけじゃない魅力があったからだ。草の根BBSを通じて広がる自作ソフト/同人ソフトの世界は、何より面白かった。ちょっとしたゲームから開発ツール、ユーティリティーまで、毎週のように誰かが新しいソフトを発表しており、それらをネタにコメントを交わす友人たちとの夜が何より楽しかったのだ。

 商業的には成功したとはいえないX68000シリーズだが、存在自体が魅力的だったゆえにファン同士がコミュニティーを形成していった。結果として、筆者に“人とつながる楽しさ”を教えてくれたともいえる。まさに、“思想的パーソナルコンピュータ”の極みともいえる。

 若干自虐的に思ったものだが、まさか“その先の展開”もあるとは思わなかった。

「PC/AT互換機」とDOS/V そして“書き手”としての自分

 X68000シリーズが市場からフェードアウトしていく中、日本のPC市場は“NEC一強時代”に突入していった。一方で海外に目を向けると、「IBM PC/AT互換機」が全盛を極めていた

 そんな時に、日本のPC業界が大きく変化する事態が発生する。日本アイ・ビー・エム(日本IBM)が「DOS/V」なるソフトウェアを開発したのだ。

 PC/AT互換機では当時、「VGA(Video Graphics Array)」に対応するグラフィックスカードが流行し始めていた。VGAは640×480ピクセル解像度の表示に対応している。これだけの解像度があれば、日本語フォント(ひらがな/カタカナ/漢字)も十分に表示できる。

 従来、PCにおいて日本語を表示するには専用ハードウェア(日本語フォントROMなど)が必要とされてきた。しかし、日本IBMが開発したDOS/Vは、「日本語を『キャラクター(文字)』としてではなく、『グラフィックス』として描画して表示すればいい」と発想した。つまり、専用ハードウェア抜きで日本語の表示を実現してしまったのだ。

 DOS/Vは、日本のPC市場を一気に変えた。筆者は再び、パーソナルコンピュータの世界に戻ることになった。

DOS/V 日本IBMは自社開発したDOS/Vを、IBM DOS(後のPC DOS)に組み込んで「IBM DOS/V(後のPC DOS/V)」として販売した。Microsoftも日本IBMからDOS/Vの供給を受け、PC/AT互換機メーカーに日本語表示対応の「MS-DOS/V」を提供した。なお、IBM DOS/Vの日本語フォントは明朝体、MS-DOS/Vの日本語フォントはゴシック体と細かい差異が存在する(画像はPC DOS/Vの最終バージョン「PC DOS 2000 日本語版」)

 PC/AT互換機(≒DOS/V)の世界では、日本では見たことがないさまざまなマザーボードや周辺機器があり、それらが全て比較的安価に購入できた。それに、日本のPCでは採用されてない最新のCPUも選べた。このときの開放感を、どのように表現すれば良いのか分からなかった程だ。

 “抑圧”されていた世界に“解放”への道が現れる――そこに飛び込まない理由はない。かくして、筆者はそこに飛び込んだ。ただし、エンジニアとしてではない。新しいトレンドをより多くの人に知ってもらおうと記事を書き、本を書いたのだ

 まさか自分が本を書くようになるとは、その当時は思ってもいなかったが、熱心にこのトレンドの面白さを話していると、出版社の人たちが「では、本を出しましょう」と声をかけてくれた。これが、この業界に筆者が今も存在している理由だ。

 業界の中で記事をたくさん書き始めると、たくさんの人と共感しながら前へ前へと進んでいった。最新のグラフィックスカードを海外から輸入して販売しようとしている人、DOS/V(日本語)環境を改善するドライバで一世を風靡(ふうび)した人、後に世界的な企業となるPCブランドを日本で立ち上げた人――パソコン通信を通して“つながっていた”人々に触発され、いつしか“書く”ことが自分の仕事になっていたのだ。

 Windowsが「Windows 3.1」から「Windows 95」へと移行する中で、日本のPC市場で天下を取ったNECは、独自アーキテクチャ路線(PC-9800シリーズ)から世界標準(PC/AT互換機ベース)にシフトチェンジしたのは、必然だったのかもしれない。

PC98-NX NECは1997年、新アーキテクチャのWindows PC「PC98-NXシリーズ」をリリースした。当時NECは「これはPC/AT互換機ではない」としていたが、内部アーキテクチャは紛れもないPC/AT互換機で、WindowsもPC/AT互換機用をプリインストールしていた

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