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» 2009年10月22日 21時00分 UPDATE

樋口健夫の「笑うアイデア、動かす発想」:計画マン史上最大の作戦

筆者には3人の息子がいる。商社を定年退職した年までには、計画通り息子たち3人全員が社会人になっていた。つまり、結婚・育児は超長期のプロジェクトなのである。

[樋口健夫,Business Media 誠]

 今回は計画マンである筆者による史上最大の作戦をご紹介しよう。それは結婚と育児である。

 ヨメサンとは大学卒業前に知り合った。同じクラスだったので、性格はある程度分かっていた。多少気が強いのが気になったが計画的に話しかけて、ほんのちょっと引っかけた……つもりが、見事に召し捕られてしまった。以後、現在までの40年間、責任を取り続けている。

 卒業後は商社に入社することが決まっていたので、グズグズしないで早く結婚しようと思った。商社に入社したら、世界中どんなところでも喜んで駐在になろうと思っていた。ただ1つの懸念は、海外駐在員になる時結婚しているかどうか――であった。というのも筆者は寂しがり屋で、1人で行く海外は耐えられなかったからである。

 もちろん仕事の面でも家族の存在は大きい。じっくり腰を落ち着けて仕事するには、国内でも海外でも家族が一緒にいることが大切だ。赴任先の人たちと家族ぐるみの付き合いをするにも、客を自宅に呼び、家族一緒に紹介することで、親しくなれる。筆者は「親しくなれてこそ初めて仕事ができる」と思っているので、海外赴任の家族帯同は、自分自身で決めていた必須条件だった。

 というわけで計画通り、入社2年目で結婚。同期では一番早かった。計画マンが結婚直後にヨメサンに迫ったのは、子供である。ヨメサンは最初「しばらくは2人でいたい」としおらしいことを言ったが、筆者は早く子供を作ることを懸命に説得した。

 なぜこれほど筆者は子作りに熱心なのか。理由ははっきりしていた。いつ海外に駐在することになるか分からないし、ヨメサンができるだけ若い時に最初の子供を産んでほしかった。4〜5人ぐらいの子供が欲しかったからでもある。このころのヨメサンは、多少なりとも筆者の意見に耳を傾けることもあったので、すぐに最初の子供を身ごもった。

 出産予定日が近づいた時、ナイジェリア駐在の話が急きょ決まった。ここで筆者は若干焦った。出産予定日になったのに産気づかず、ヨメサンのお産は遅れていたからだ。週末になると関西の実家に一時帰郷したヨメサンに会いに行き、「早く産んでもらえないと、赤ちゃんの顔を見ないで海外に出る。これは計画外になる」と涙ながらに訴えたものだ。すると、駐在に出発する2週間ほど前の夜中、ヨメサンは長男を無事に出産した。大きな赤ちゃんだった。

 筆者は生後数時間の長男を見て、急ぎ新しい“計画”を策定。筆者と父と弟と友人の4人で近所の飲み屋を借り切ってお祝いをしたのだ。結局その日は、そのお店が始まって以来と言われるほどの大宴会。酒を飲み過ぎて全員がひっくり返ったのは秘密である。

 その後、筆者は長男の顔をしっかりと頭に入れて、アフリカに先に赴任した。まだ26歳だった。6カ月後にヨメサンが生後半年の長男を連れてナイジェリアにやってきた。3年後、ナイジェリアからサウジアラビアに転勤する時、ヨメサンは2人目を身ごもった。この時は筆者が先にサウジアラビアのリヤドに赴任し、一時帰国したヨメサンは数カ月後に実家で次男を生むことになる。こうして、着々と家族構成の計画は進んで行ったのである。

 5歳の長男と生まれて3カ月ほどの次男を連れて、ヨメサンはリヤドにやってきた。同時に、3番目の出産計画を立てた。だが産むのは筆者ではない。ヨメサンはもう2人で結構と言い切っていたが、これは少し強引にヨメサンを説得したような、しないような……。そんな日々の内に、ヨメサンは身ごもっていった。身ごもったとなると、ヨメサンは強い。俄然張り切った。

 ヨメサンはまたまた出産のために日本に一時帰国。生まれた子供は今度も男の子で、数カ月後ヨメサンは息子たち3人を連れてリヤドに戻ってきた。数年が経過し、いよいよ4人目の計画を立てた。しかし(というかやはり)ヨメサンの警戒が相当厳重になり、強行突破も難しかった。さらに3人目の息子がすごく活発だったので、筆者は初めて体力の限界を感じて、ギブアップしたのだった。

 商社を定年退職した年までには、息子たち3人全員が大学院を卒業して、長男と次男が結婚し、三男が就職した。そして、筆者の教育的責任は解除された。生まれた時に計算できることながら、定年退職に合わせて子供たち全員が社会に出たのも、超長期の計画通りだったのだ。子供が生まれて、社会にでるまでに20数年間は考えておく必要があるのだ。逆算すればいろいろなことが分かる。早く結婚し、早く子供を作って、筆者に体力が残っている間に育て上げて良かったと心から思っている。子育ては最大のエンターテイメントだった。本当に面白かったが、費用も手数もかかるのが現実。子育てはすごいプロジェクトなのである。

今回の教訓

 フォースチルドレンは世に出ず。


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著者紹介 樋口健夫(ひぐち・たけお)

 1946年京都生まれ。大阪外大英語卒、三井物産入社。ナイジェリア(ヨルバ族名誉酋長に就任)、サウジアラビア、ベトナム駐在を経て、ネパール王国・カトマンドゥ事務所長を務め、2004年8月に三井物産を定年退職。在職中にアイデアマラソン発想法を考案。現在ノート数338冊、発想数26万3000個。現在、アイデアマラソン研究所長、大阪工業大学、筑波大学、電気通信大学、三重大学にて非常勤講師を務める。企業人材研修、全国小学校にネット利用のアイデアマラソンを提案中。著書に「金のアイデアを生む方法」(成美堂文庫)、「マラソンシステム」(日経BP社)、「稼ぐ人になるアイデアマラソン仕事術」(日科技連出版社)など。アイデアマラソンは、英語、タイ語、中国語、ヒンディ語、韓国語にて出版。「感動する科学体験100〜世界の不思議を楽しもう〜」(技術評論社)も監修した。近著は「仕事ができる人のアイデアマラソン企画術」(ソニーマガジンズ)「アイデアマラソン・スターター・キットfor airpen」といったグッズにも結実している。アイデアマラソンの公式サイトはこちらアイデアマラソン研究所はこちら


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