バブル崩壊で希望職種に就けず挑戦者たちの履歴書(37)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、青野氏が阪大の研究室で畑氏に出会うまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2010年08月06日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 大学卒業後、プログラマとして企業に就職する道を志していた青野氏だが、その後共にサイボウズを設立することになる天才プログラマ畑慎也氏と大学の研究室で出会ったことにより、プログラマになる道をきっぱりとあきらめる。

 では、大学を卒業した後、実際にはどのような道に進んだのだろうか?

 「プログラマになる道はあきらめたものの、好きだったコンピュータを使える研究職に就けないかと思い、松下電工に就職しました」

 しかし、松下電工株式会社(現パナソニック電工株式会社。以下、松下電工)に入社後、実際に配属されたのは研究部門ではなく、とある事業部の営業企画部だった。青野氏が大学を卒業して同社に入社したのは1994年、ちょうどバブル景気が崩壊した翌年のことである。どの企業も、新卒採用を大幅に減らしていた時期であり、大学院にも行っていない新人が研究職に就けるような状況ではなかったのだという。

 営業企画部に配属された青野氏は、野球場のスコアボードの営業を支援する仕事に従事することになる。スコアボードといっても、野球に詳しくない方にとってはあまりなじみがないかもしれない。野球場では通常、スコアやチームメンバー、ボールカウントなどを記した巨大なボードが設置されている。スタンドで試合を観戦している人々は、そのボードに表示されている内容を見ることによって、試合の進行状況を逐次確認できるわけだ。

 古くは木製の板に手で直接文字を書き入れたものが使われていたが、現代のスコアボードは電子化され、最新のものではLED装置まで採用されている。また、スコアやメンバー表だけでなく、動画を表示する大型スクリーンを備えたものまである。最新の音響技術と相まって、野球場の演出には欠かすことができない装置である。各メーカーが技術の粋を集めた製品を提供しているが、その中でもパナソニック電工(旧松下電工)の製品はトップクラスのシェアを誇る。

 青野氏に与えられたミッションは、野球場を保有する企業や自治体に対してこうしたスコアボード製品のセールスを掛ける営業マンの後方支援を行う仕事だった。こうして、スコアボード製品の見積もりや提案書を作成する日々が2年間ほど続いた。

 しかし、この仕事と平行して、別のある任務を社内で請け負っていた。青野氏が所属していた事業部内のIT環境の整備を、一手に任されたのである。1990年代前半から中盤にかけては、ちょうど企業内LANの技術が実用化され始めたころで、「ダウンザイジング」「クライアント/サーバ」といった合言葉の下、さまざまな企業でPCとネットワークの導入が進んだ。青野氏が所属していた事業部も例に漏れず、「うちでも“パソコン”とやらを導入してみようじゃないか」となったが、如何せん分かる人間がいない。そこで「お、今度入ってきた新人はPCのことが分かるらしいぞ」と、青野氏にお鉢が回ってきたのだ。

 「事業部内の全社員に配る120台のMacを購入し、CADで使っていたサン・マイクロシステムズのワークステーションをメールサーバとして活用することにしました。新人としては、結構な額の決済を任されていましたね。PCの機種にMacを選んだのは、個人的な趣味に走っていたかもしれませんが! あとは、フロアのネットワーク構成も自分で設計して、10BASE-Tのケーブルを実際に引いて……」

 営業支援の業務の片手間にこうしたことを続けているうちに、青野氏の中にある思いが去来する。「あ、おれ、やっぱりコンピュータが好きなんだな……」と。

 そしてまるで申し合わせたかのように、ちょうど同じころ、後の青野氏の人生を大きく左右することになる出来事が起こる。松下電工が、社内ベンチャー制度を始めることになったのである。


 この続きは、8月9日(月)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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