“自転車操業”で、創業期を何とかしのぐ挑戦者たちの履歴書(107)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、田中氏が舞鶴高専を卒業するまでを取り上げた。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2011年04月25日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 舞鶴高専4年生のときに田中氏が始めたさくらインターネットの個人向けホスティングサービスは、ITリテラシーの高い先進ユーザー間の口コミを通じて急速に広がっていった。

 当初は地元舞鶴にあるプロバイダー「ダンスインターネット」の施設を間借りしてサービスを提供していたが、あっという間にサーバも回線もパンク。サービスを開始して早くも半年後には、大阪にあるデータセンターにサーバを移設することになった。当初、サーバ2台で始めたサービスも、このころにはサーバ6台の規模に拡大していた。

 1998年3月、舞鶴高専を卒業した田中氏は、これまで学生生活と掛け持ちで何とか回していたさくらインターネットの事業に、いよいよ本腰を入れて取り組むことになる。まずは、それまでの個人事業の形態を法人化するところからスタートした。

 「確か、当時読んだ『20代で会社を作る方法』という本の中で紹介されていたと思うのですが、スティーブ・ジョブズの言葉に『一生に一度でも社長になったと言えるだけでもいいじゃないか』というものがあるんです。これを見たときに『そうか、そうだよな!』と感銘を受けて、起業する決意を固めました」

 「会社を作って、社長になろう!」。では、一体どうしたら会社を作ることができるのか? 田中氏は前出の本を参考に、会社設立に必要な手続きを徹底的に調べ上げた。まず初めに考えなくてはいけなかったのが、資本金の問題だ。1998年当時は、有限会社を作る場合で最低300万円、株式会社では最低500万円の資本金を準備する必要があった。

 田中氏は当初、最低資本金の制約がない合資会社にすることを考えていたと言う。しかしちょうどそのころ、さくらインターネットの業績は急速な伸びを見せており、ある程度の額の資本金を集められるめどが付いていた。

 「ならば、どうせなら有限会社にしようということで、資本金の原資を集めるために年間一括払いキャンペーンを打ったんです。そうしたら思いの外、お金が集まって、本当は300万円だけで良い資本金を、600万円も用意することができました」

 また、定款の作成をはじめ、法人を登記するための煩雑な手続きも、ほとんど全て自前で行った。その際、ちょっとしたハプニングもあったという。

 「僕が社長で、一緒にやっていた後輩の菅を取締役にするつもりだったんです。でも、いざ公証人役場に行って手続きをしようとしたら、『菅さん、あなたはまだ未成年だから、会社の役員になるためには親の承諾が必要ですよ』と急に言われたんです! でも今思うと、確かに未成年が会社の役員になることなんて、普通の感覚ではあり得ないですからね」

 慌てて淡路島にある菅氏の実家に2人で訪れて、書類を揃えた。何から何まで自分たちだけでやったので、試行錯誤の連続だったという。

 かくして1998年4月9日、田中氏はさくらインターネットの事業を担う法人として「有限会社インフォレスト」を設立し、その社長の座についた。若干20歳にして、早くも経営者としてのキャリアのスタート地点に立ったわけだ。

 当時はちょうど、インターネットブームからITバブルへとIT業界全体が盛り上がりつつある時期だった。そうした追い風も受け、ユーザー数は順調に伸び続けた。会社を設立した直後は舞鶴に事務所を構えていたが、間もなく大阪に移転した。

 新しい試みも始めた。新事務所にサーバスペースを設けて回線を引き、ごく小規模なデータセンター設備を整えた。これを使い、専用サーバサービスを始めたのだ。現在ではレンタルサーバと並ぶさくらインターネットのメイン事業と位置付けられている専用サーバだが、このころから既にサービスを提供を始めていたのだ。

 と、ここまでの会社立ち上げのいきさつを聞く限りでは、さぞや順風満帆な船出だったように聞こえるが、お金の面では苦労が絶えなかったという。

 「お金の計算はいいかげんでしたからね……。一応、会社を立ち上げるときに簿記帳やはんこも買ってきて、体裁だけは整えたんですが、記帳したのはわずか1日だけ! 4月の会社設立時には結構あったお金も、6月にはもうスッカラカンになっていました!」

 会社設立2カ月後に、早くも経営危機……。

 しかし、ユーザーの数は順調に増え続けていた。そこで、入ってくるお金を即座に設備投資に回し、そうして新たなユーザーを呼び込み、さらにそこで新たに入ってくるお金でさらに設備を増強していく。そんな典型的な自転車操業で、何とか危機を乗り切ったという。「大変でしたが、自転車操業自体はビジネスの拡大期にはとても有効な一面もあるんですよ」と田中氏は当時を振り返る。

 とにもかくにも、さくらインターネットは急速にサービスの規模を拡大させていった。会社設立時には千数百人だったユーザー数は、翌年の1999年には早くも4000人を超えるまでに膨れ上がっていた。


 この続きは、4月27日(水)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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