連載
» 2011年11月14日 12時00分 公開

挑戦者たちの履歴書(124):雪深い地の伝統校に通った高校時代

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。今回は、瀧田氏の高校時代を取り上げる。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

[吉村哲樹,@IT]

 中学を卒業した瀧田氏は、鳥取県下随一の進学校、鳥取県立鳥取西高等学校(以下、鳥取西高校)に進学する。同校は非常に歴史が古い学校として知られ、その校舎は何と鳥取城跡の敷地内に建っている。

 「城跡の石垣の上に校舎が建っていて、朝登校するときもお堀に掛かった橋を渡って行くんですよ。面白いでしょ?」

 瀧田氏は、当時の記憶を一生懸命に辿りながら、当時通った高校の様子を語ってくれた。

 「昔、師範学校と女学校が一緒になってた時代に、私の祖母が通っていた古い木造校舎が、私の時代でも1年生の校舎としてそのまま使われていたんです。本当に古い校舎で、冬の間は、朝教室に入ると、窓際の席の机の上に雪がうっすらと積もってるほど!」

 かなり雪深い鳥取の地だけあり、冬の間教室内にはダルマストーブが置かれていた。雪が積もる中登校してきた生徒たちは、靴下をストーブのそばに干して乾かしていた。“ダルマストーブ”と聞いても若い読者にはピンと来ないかもしれないが、一昔前までは大きなダルマのような形をした鉄製のストーブが冬の間、学校の教室や駅の待合室などによく設置されていた。筆者も幼いころ雪深い地方に住んでいたことがあったが、冬の間は教室に据え付けられたダルマストーブの上であられを焼いて友達と食べたことをよく覚えている。

 こう聞くと、瀧田氏が進学した高校はのんびりした校風だったように聞こえるかもしれないが、実際にはその真逆。鳥取西高校は県下随一の伝統校であるためか、校風はかなり厳しかったと言う。瀧田氏が今でも鮮明に記憶しているのが、入学早々に行われた「応援練習」だ。

 「新入生は一週間、毎日グラウンドに集合させられて、応援団による応援練習を受けるんです。そこで応援歌を歌わされて、全部の歌を覚えさせられるんですが、学ランを来た応援団のお兄さんたちが新入生が歌っている周りを巡回して、『声が小さい!』とカツを入れるんです」

 また、校則もかなり厳しかったと言う。今、女子高校生の間では丈の短いスカートが流行っているが、瀧田氏が高校生だった時代には逆に、丈の長いスカートをはくのがかっこいいとされていた。いわゆる「ツッパリ」の時代だ。校内で定期的に行われた服装の一斉チェックでは、床からスカートの裾までの長さを測るために、専用の竹の棒までもが用意されていたと言う。

 こんな堅苦しい環境の中、自我が強かった当時の瀧田氏は、ひょっとして「ツッパリ」生徒の範疇に入っていたのでは……

 「教師に反抗したり、無視したりすることはありましたけど、両親がとにかく厳しかったので、学校を休むことはおろか、遅刻すら許されなかったんです。なので、中学・高校を通じて無遅刻、無欠席で通しました。大雪の日の朝、遅刻しないようにとまだ暗いうちに家を出て、ようやく学校にたどり着いたら休校だった、なんてことも何度かありましたね!」

 生徒会の活動に熱心に取り組む模範生的な一面すらあった。ただし、そもそも瀧田氏本人は生徒会にはあまり興味はなかったようだ。

 「仲の良かった生徒が生徒会長に選ばれて、『こういうことやりたいから、手伝ってくれない?』と頼まれたので、『しょうがないなあ……』という感じで生徒会に加わりました」

 生徒会以外では、合唱部にも参加していたと言う。しかしこちらも、「ピアノの伴奏をしてほしい」と頼まれて入ったものの、いつの間にか歌い手をやらされていた、といういきさつらしい。「頼まれると、どうしても嫌とは言えない」。こうした一面も、瀧田氏の個性を形成する重要な要素の1つなのかもしれない。


 この続きは、11月16日(水)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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