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» 2011年12月19日 12時00分 UPDATE

挑戦者たちの履歴書(136):結婚式の翌日には米国にとんぼがえり!

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。今回は、瀧田氏のネットスケープ入社時代を取り上げる。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

[吉村哲樹,@IT]

 前回、米国と日本を行ったり来たりしながら、ネットスケープ米国本社の開発部門でクライアント製品の国際化やQA(品質保証)の仕事に奔走していた当時の瀧田氏の様子を紹介した。聞けば聞くほど、当時の多忙ぶりは尋常ではなかったようだが、何と瀧田氏はこの慌しい時期に、結婚もしているのである!!

 当時の瀧田氏は、“数カ月間米国に滞在してはほんの数日だけ日本に帰国し、またすぐ米国にとんぼ返り”という生活を送っていた。その、ほんの数日間の帰国のタイミングを計って、日本で結婚式を挙げたと言うのだ! 1997年の11月のことだ。これはまさに驚異としか言えまい……。

 「結婚式が終わった次の日にはもう、『じゃあ、また!』と米国にとんぼがえりでしたね!」

 しかし、結婚相手も、瀧田氏に勝るとも劣らぬ多忙な人物だった。

 お相手は、サンのユーザー会やUNIX関連のイベントを通じ、以前から懇意にしていたUNIX研究者として有名な大学教授で、日本における情報セキュリティの第一人者としても知られる人物。

 いわば同じ業界の著名人だが、お二人とも夫婦だということを極力明かしていないと言うので、ここではあえて名前は明かさないでおくが、IT業界のビッグネームであるこの2人が、まさか夫婦であることを知らない方も多いのではないだろうか。例に漏れず、筆者もまったく知らなかった。

 「一度、ある雑誌の裏表紙に私の記事が載って、巻頭に旦那の記事が載ったこともありました。これではまるで、夫婦漫才ですよね! 恐らく、その雑誌の編集者の方も、私たちが夫婦だということは知らなかったんだと思います」

 ちなみに、結婚した後もそれまで通り米国での仕事を続けていた瀧田氏だったが、やがて子宝に恵まれることになる。妊娠したとなると、そうそう日本と米国を行ったり来たりするわけにはいかない。それに、瀧田氏の奮闘の甲斐もあり、1998年ごろにはネットスケープ本社での製品の国際化やQAの体制もしっかり確立されるようになっていた。ここに至って、瀧田氏は2年以上に渡る米国中心の生活にきりを付けて、日本に帰国することを決意する。1998年の11月のことだ。

ALT 当時瀧田氏が販売していた「Netscape Communicator」の製品パッケージ。今となっては非常に貴重だ

 一方で、当時ネットスケープを取り巻く状況は、決して芳しくなかった。本連載の第1回でも紹介した「第一次ブラウザ戦争」の戦況が、極めて悪化しつつあったのだ。インターネット黎明期には、一般向けブラウザ製品のデファクトスタンダードとして圧倒的なシェアを誇ったNetscape Navigatorだったが、マイクロソフトがWindows 95と同時にInternet Explorer(以下、IE)をリリースして以降、両社は熾烈なシェア争いを繰り広げるようになった。まさにそのさなか、瀧田氏は戦闘の最前線で戦っていたわけである。

 しかし、1996年にマイクロソフトがIEの無償化に踏み切った辺りから、戦況はマイクロソフト優勢に傾き、1998年にリリースされたWindows 98でIEがOSと一体になって提供されるに至って、戦況はほぼ決した。「ブラウザとOSを一体にして販売することは独占禁止法違反に当たるのでは?」との訴訟も起こされたが、結局はこの訴訟もIEのシェアを崩すには至らなかった。

 ネットスケープもこの間、Netscape Communicatorの無償化、さらにはオープンソース化と、マイクロソフトの攻勢に対抗する手を打ってはいるが、それが結果的には功を奏することはなかった。そうこうしているうちに、ネットスケープは1998年11月、AOLに買収されることになる。瀧田氏が日本に帰国したのは、ちょうどこの時期に当たる。同氏の帰国直前、経営が逼迫(ひっぱく)しつつあったネットスケープ本社では、かなり大規模なリストラが行われたと言う。

 「そのとき初めて、アメリカの会社のレイオフというものを目の当たりにしたんですが、日本人の私の目から見るとシビアでしたね。昨日まで働いてた社員が、朝自分の席に行くと、机の上に段ボール箱が1個置いてあって、『私物は持って帰って、それ以外の物をこの中に入れておくように。セキュリティカードは机の上に置いておくように』というメモが隣に置かれているんです」

 日本の会社ではとても考えられないドライさだ。ショックを受けた瀧田氏が、レイオフされた同僚のところに行き、恐る恐る「悲しいね……」と言うと、意外や意外、相手はけろっとした表情で「何て顔してるの? 会社の都合で切られたんだから、私が悪いわけじゃない。むしろ、次の職場では今より高い給料になるはずだから、これはチャンスなのよ」と言ったそうだ。

 「ポジティブな人たちだなあ」。根っからのポジティブ人間であるはずの瀧田氏ですら、このときばかりはアメリカ人のポジティブ思考に感心せざるを得なかったと言う。


 この続きは、12月21日(水)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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