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「新しい酒は新しい革袋へ」―― ハイレゾの新潮流「MQA」と録りたてハイレゾの魅力麻倉怜士の「デジタル閻魔帳」(2/2 ページ)

» 2015年07月15日 10時30分 公開
[天野透ITmedia]
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“輝く宝石の声”が奏でるアヴェ・マリア

麻倉氏:次は新作ハイレゾの話題です。7月から配信が開始されるナクソス・ジャパン独自制作の作品で、ニューヨーク在住のソプラノ歌手である田村麻子さんとパイプオルガンの組み合わせという収録に立ち会ってきました。この収録は今年の3月に武蔵野市民会館で行ったもので、曲目はさまざまな作曲家の「アヴェ・マリア」です。

ナクソス・ジャパンの新譜「Jewels of Ave Maria」。英国の音楽批評家、グレアム・ケイ氏に「Brilliant jewel of the voice」(輝く宝石の声)と評された国際的な若手ソプラノ歌手、田村麻子さんのアルバム。CD盤は7月26日に発売を予定している

――田村さんの新作は以前この連載でも触れていて、「めくるめく音楽的快感」と絶賛されていましたね。

麻倉氏:今回は「ハイレゾと音楽性」という点に焦点をあてて、より詳しく語ろうと思います。武蔵野市民会館は街ナカにあるコンパクトなホールです。透明な香りがするきれいな響きが音的な特徴で、そこに入っている小さなパイプオルガンを伴奏に田村さんが歌うという内容でした。

 田村さんは国立音大を出られた後に、ニューヨーク・マネス音楽院を主席でご卒業されています。ドミンゴ国際コンクールに最年少で入賞しており、今はニューヨーク在住で、世界のオペラハウスで活躍されているトップアーティストの一人です。日本での活動としては、今年の「NHKニューイヤーオペラ」にもご出演されました。

 今回の収録で素晴らしいと思ったのは、ソプラノの伴奏にパイプオルガンという組み合わせです。ピアノとソプラノはよくある定番のスタイルですが、ソプラノの伴奏がパイプオルガンというのは珍しいですね。

武蔵野市民会館に設置されているパイプオルガン

――ニューヨーク在住の日本人ソプラニスタが武蔵野で歌う、しかも伴奏にパイプオルガンというの組み合わせが、非常に面白いですね。ほかのレーベルが手を出さないようなことをやってくるのが、いかにもナクソスらしいです。

麻倉氏:そのパイプオルガンの広がり感、深さ、抱擁感というものを感じました。縦ノリの鋭い音が連続するピアノをバックにして歌うのではなく、パイプオルガンはすごく横ノリというか、横にずっと響きが広がっていく、しかもサスティーン、つまり同じ音の持続が多いんです。音楽的に内容の深い二重アンサンブルのアヴェ・マリアが聴けたというのが、今回の感想でした。

 音源という面で見ると、直接音とアンビエントとでは、直接音がとても入っていることに感心しました。例えば教会で聴くとするならば、オルガンの音も全体に広がり、当然ソプラノの音も全体に広がる、響きの分厚いものになります。全体の中で包まれるように、深い音場、厚い音場になり、教会全体が響いてくるような感じを受けます。しかし今回はそうではなく、明確で明晰な音場を持っています。会場自体がそんなに(残響が)長くはないというのもありますが、やはり録音の時に意識的に直接音を録ったのではないでしようか。とても明確です。

――アヴェ・マリアは宗教音楽ですので、やはり教会でというイメージが強いですよね。壁が近く天井が高い教会と、広い空間のホールとでは、響き方が全然違うと思うのですが、それが作品にどのような表現をもたらすのでしょうか。

麻倉氏:このことによって何がメリットになるかというと「やはり世界的なソプラノ歌手が歌うアヴェ・マリアは、そんじょそこらの演奏とは違う」ということがよく分かるんです。通常の合唱団がクリスマスやモテットで歌うアヴェ・マリアは、感情の入れ方やアーテュキレーションなどが基本的にフラットなんです。なぜならば教会で歌われるアヴェ・マリアは神から授かる音楽だからです。神の威厳を示すために演奏者という人間の感情は排し、旋律や響きに歌詞も含めて、神からのメッセージを聴衆、信者が聴いて感じるというものが教会音楽なのです。

 対してオペラティックな歌い方というのはそうではありません。熱い感情に溢れ、アーテュキレーションも感情に従って揺れ動き、ダイナミクスがあって、その揺れ動きとともに強弱や盛り上がり盛り下がりがある、こういった感情的な歌い方がオペラの1つの典型です。

――確かにオペラはロマンティックな主題を扱いますから、歌い方もラテン的(神秘的)ではなくロマン的(人間的)でないといけませんよね。

麻倉氏:田村さんの歌唱も、ある意味でやはりオペラティックです。

今回は16曲ものアヴェ・マリアを歌いました。前半はバッハ、グノー、カッチーニ、ドヴォルザーク、フランクという、オーソドックスなアヴェ・マリアですが、後半はピアソラ、メルカダンテ、サン=サーンス、シューマン、ヴェルディなど、ロマン派から近現代のものを特集しています。アヴェ・マリア自体は数百曲あるのですが、今回のラインアップは田村さんが特に好んで歌っているもの、もしくは発見して、初めて歌う、とても気に入っているものをチョイスしたとのことです。

――後半のアヴェ・マリアは聴いたことのない物が多いですね。

麻倉氏:前半はそれほどオペラティックだったり、感情を入れたりしているわけではないですが、後半のメルカダンテやマスカーニ、ピアソラになってくると、正に劇的な表現となります。そこにビブラートや音の強弱による技巧が散りばめられ、感情変化や歌詞との一致性などが特徴的に歌われています。そういったアーティスティックな部分を楽しむことができました。

 教会の響きの中での臨場感ではなく、田村麻子という傑出した表現者が、各作曲家のアヴェ・マリアをどのように表現しているかという「表現の試聴体験」こそが、このハイレゾ音源における大きなポイントではないでしょうか。したがって、教会のような分厚い響きの中に音像を置くのではなく、クリアで明晰な、でも少し会場の響きが入っているという空間で音楽を繰り広げることがそのためには重要なのです。田村さんの豊かな表現と、それをバッキングするオルガンのとても落ち着いた安寧な音、それを両方聴けるのが、今回の凄いポイントですね。そしてこのような視点で音楽を聴くと、演奏におけるプロデュースの方向性が分かってきます。

――音楽自体はもちろんのこと、演奏者やプロデューサーが考える作品性というものが、より鮮明に感じられるという訳ですね。

麻倉氏:その通りです。例えば過去の名盤はトータルで既に作品としての価値があり、それをハイレゾ化することで現代的に享受するという楽しみ方ができます。それに対して新録の場合は旧作とは違い、現代の製作者の狙いというものがあるのです。「なぜ、この曲?」「なぜ、この奏者?」「その奏者はどんな演奏をするの」「どういうふうに録りたいの」といった新しい工夫が、新録音源では各所にされています。それが非常に面白いのです。

例えば今回のアヴェ・マリア作曲家の1人であるメルカダンテは、1870年に亡くなったロマン派に属する音楽家です。私の個人的なお気に入りは、ホ短調の「フルートコンチェルト」というとっても素晴らしい曲。この曲はファンファーレのように音階の主和音で始まるという、とてもロマンティックな曲です。メルカダンテの曲にはこのような劇的なものが数多くあり、確かに今回のアヴェ・マリアもとても情熱的です。

 私が田村さんにお話を聞いたところ「メルカダンテのアヴェ・マリアは、イタリアの友人がいい曲だと教えてくれたので、それをオペラティックに歌いました」と話していました。こういう珍しいアヴェ・マリアなだけど、ロマンティックな曲調、オペラティックな歌唱という部分にスポットライトを当てることで、メルカダンテの世界と田村さんの世界が両方聴ける音楽に仕上がったのです。

 録音のコンセプトも、オペラ的な楽曲では、音色は明るく力感を帯び、音の突き上げ感がシャープです。こういうところが録音として上手く捉えられており、田村さんの表現力を雄弁に再現していますね。

――録音エンジニアが単なる技術者から芸術家へ昇華される所以ですね。生演奏でないからこそ宿る音楽性というものが、非常に現代的だと感じます


教会とは違う音響空間を「表現」にするため、録音にはさまざまな種類のマイクが用いられた

 今回のアルバムでは「4大アヴェ・マリア」と呼ばれる、バッハ/グノー、カッチーニ、シューベルト、サン=サーンスのアヴェ・マリアがきっちり入っていて、これらは今回の録音でも若干宗教的というか、禁欲的なところがあります。でも盛り上がる所はきっちりとオペラティックになっているのです。

 昔、本格的なオペラ歌手が歌ったクリスマスソングというアルバムがありました。カラヤン/ウィーンフィルの伴奏でレオンタイン・プライスが歌うという非常に豪華なもので、その演奏を聴いた時には「当代一のソプラノ歌手が歌った通俗曲というのはこれだけ違う表現があるのか」という感動が過去にあった事を思い出します。

 今回の田村さんも、今までよく聴いた音楽の、新しい響きというか、新しい切り口と言った面が見られ、とても新鮮に感じました。歌曲の一大ジャンルであるアヴェ・マリアには、それ固有の世界というものがあります。歌詞は基本的に同じなので、表現の幅はそんなに広くありません。ですが、作曲家ごとに切り口の幅というか、コンセプトというものがはっきりと出てくるんですね。そういうところがハイレゾでクリアに生々しく聴けるというのが、素晴らしい体験だと思います。

 田村さんもやはり「アヴェ・マリアは特別な存在として歌っています。普段のオペラアリアや歌曲は、キャラクターや主人公になりきらないといけないというのが、オペラという職業的なやり方なんです。でもアヴェ・マリアはそうではなく、とてもニュートラルになれます。つまりキャラクターに化ける必要がないんです。その分キャラクターを通してではなく、曲自体の魅力や物語を、深く広く、色んな角度から歌うことができます。それが私にとってのアヴェ・マリアの魅力です」とお話していました。

――歌手にとってオペラは基本的に一人称ですが、確かにアヴェ・マリアは三人称的な歌詞というか、音楽そのものが俯瞰的な視点ですよね。オペラ歌手にとっても、自分とは違う人間を演じるという普段の歌い方から離れて、純粋に音楽と向き合うことができる楽曲なのですね。

収録中の田村麻子さん

麻倉氏:オルガンも結構控えめではあるけれど、オルガンサウンドの気持ちよさ、心地よさを存分に感じさせます。劇的に歌う田村さんと違って、オルガンの演奏は劇的ではありません。田村さんはノリにノッて、やもすると過剰とも感じるのですが、オルガンはあくまでフラットで、優しく、控えめ、節度を持った操作です。その上でアヴェ・マリアが自由に羽ばたくというコンビも、ハイレゾで聞くと素晴らしいですね。

 時々「パタン」というミュート扉の開閉音が聞こえる。こういう音が聞こえることで、音量も奏者が物理的に調整しているということが分かります。これは“雑音”になるのですが、ある意味でオルガンにはなくてはならない“楽音”なのかなという気もしました。こういった機械的な音がちゃんと聞こえるのも、実にハイレゾらしいですね。

――オーケストラだと譜めくりの音がたまに聞こえたり、ロックではギターの弦をこする細かい音が入っていたりしますよね。ああいう音が聞こえてくると、演奏のリアリティというものが感じられ、音楽がとても生々しくなります。

麻倉氏:今回はDSD 5.6MHzで収録され、PCMの192kHzとDSD 5.6 MHzで配信されます。この2つに関してですが、DSDが圧倒的に素晴らしいですね

――DSDとPCMの音の違いというのは、実にオーディオらしいテーマだと思います。今回DSDが圧倒的に素晴らしいという理由は何でしょうか。

麻倉氏:192kHzも決して悪くはないのですが、目の前のものを淡々と描写しているという感じがします。DSDはそうではないですよ。テレビ番組でいうなればドキュメンタリーか作品的か。例えばN響(NHK交響楽団)を撮るNHKはドキュメンタリー的です。対してユーロアーツなど、ヨーロッパのクラシック映像はクラシックの音楽作品的です。

 N響は「こういう演奏が何月何日にどこそこであり、指揮者はだれそれでした」という、基本的な情報を伝えているという画面構成です。対してヨーロッパのプロダクションは自由で、音楽の躍動的な部分は躍動的に撮るとか、フラットな部分はカメラワークをあまり駆使したりしないとか、楽器に肉薄するとか、そこでカメラワークから音楽が聞こえてくるといったような撮り方をする。いわゆる作品性を重視した撮り方です。

 音でいうと、PCMは「田村さんはこういう演奏で、伴奏はこんな感じで、こんな音場」といったドキュメンタリーです。対してDSDの音はそういう域を超えて、空気の厚さや“つや感”、声を発した後のビブラートが空間に消えゆく様など感情に訴える部分もあります。「木綿のような、素朴な生成り感のPCMと、絹ごしのDSD」とでもいいましょうか、生の音楽を聴いた熱い体験感といったものが強く感じられるのです。

 特にオペラティック、ドラマチックな盛り上がりだと、PCMは冷静な部分があります。そこに感情が乗るとか、気持ちの伝達、伝搬という部分となると、圧倒的にDSDに分があるのです。「新しい酒は新しい革袋に」という格言のお手本のような名録音ですね。7月から配信されますので、皆さんもこのアルバムで是非、現代の再生芸術というものを体感してみてください。

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