リーダーが備えるべき5つのこと 元プロ野球選手・仁志敏久氏マイクロソフトが福岡で「Discover」イベント(2/2 ページ)

» 2014年06月02日 08時15分 公開
[伏見学,ITmedia]
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コーチの情熱でセカンドに

 この3つに加えて、仁志氏は「情熱」と「ユーモア」をリーダーに求める。仁志氏は野球人生を振り返り、素晴らしいコーチだと感じたのは、決して自分を見捨てず、最初から最後まですべてを教えるつもりで向き合ってくれる情熱の持ち主だという。その一人が、読売ジャイアンツでコーチを務めた土井正三氏(故人)だ。

 仁志氏は入団時のポジションは三塁手だったが、ここは外国人選手と競合するポジションで、レギュラー定着は難しかった。そうした中、ジャイアンツのコーチに復帰したばかりの土井氏は、何とか仁志氏をレギュラーにしようと二塁手へのコンバートを勧める。春季キャンプでは毎日、特守、特打を繰り返してレベルアップを図るとともに、試合中には人が目に付かないような細かなプレーにまでも声を掛けてくれたのだという。「セカンドのポジションをつかみ、プロ野球でやってこれたのは土井さんのおかげ」と仁志氏は力を込める。

 もう1つの条件として仁志氏が挙げるユーモアを体現していたリーダーが、独立リーグ時代の監督である。普段は口数少なく、威厳がある監督として選手たちからも一目置かれているが、試合前のミーティングの最後に必ず選手を笑わせていた。これによって張り詰めた空気が溶け、親近感が湧き、選手は監督のために頑張ろうという気になったそうだ。「プレーオフでチームが敗れたとき、選手たちは涙を流していた。独立リーグでこうした光景は見たことがなかった。監督と選手の関係性を表す出来事だった」と仁志氏は振り返る。

木内監督の指導力

 もう一人、自身の野球観を形作った、仁志氏にとって忘れられないリーダーがいる。それが常総学院で長らく監督を務めた木内幸男氏である。取手二高での監督時代を含めて、甲子園大会で春夏合わせて優勝3回、準優勝2回という実績を持つ“名将”だ。仁志氏が高校時代にも3年連続で夏の甲子園に出場し、その一度は準優勝に輝いている。

 「教え子にとってこれほど素晴らしい指導者はいない」と仁志氏が言い切る理由とは何か。それは、選手に考えさせる野球をする、ということである。

 「高校野球監督の多くは、選手が自分の思ったように動くことが采配だと考えている。実際、高校生に考えさせて野球をするのは難しい。しかし、木内監督は選手に判断を委ね、選手たちの考えでプレーさせていた」(仁志氏)

 一方で、それは選手たちにとっても決して楽なことではない。刻一刻と変化する試合の中で、それぞれの状況に応じた“正解”を自分たちで理解しながらプレーしないといけないからだ。例えば、監督から送りバントのサインが出ても、もし相手の内野手が前進してきたらバントしてはいけない。「ここでバントするのは大間違いで、監督に怒られる。バスターなどを選択すべき」と仁志氏は話す。また、ヒットエンドランのサインが出ても、相手が警戒していたら単にそのまま実行するのではなく、バントの構えからのバスターエンドランをするなど、常に状況を考えて動くことが求められていたという。

 「木内監督の采配は読めないことから“木内マジック”と称された。しかし選手たちにとっては、それが最善策だと分かっているので、妙なサインが出ても驚かなかった」(仁志氏)

 高校野球では、ノーアウト一塁の場面で攻撃側は送りバントを選択するのが一般的だとされている。しかしながら、「これは実に形式的で、どんな状況でもその方法しか選択できなくなってしまう」と仁志氏は指摘する。木内監督の野球は、状況を見て、よりランナーが進塁する確率の高い方法をとるのか、送りバントというセオリーをとるのかを、その都度考えていたのだった。

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