研究とビジネスの相互作用をiPhoneアプリの公開で試す――パンカクの挑戦松村太郎のノマド・ビジネス

» 2009年02月13日 13時28分 公開
[松村太郎,ITmedia]

 僕の母校でもある慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)には、インキュベーション施設がある。ただレンタルオフィスを用意するだけでなく、企業のコネクションやアドバイザリー制度、そして卒業生がメンターとして関わる人的な関係性が提供されており、起業する学生やアイデアをカタチにしたい人たちの強い味方となっている。

Photo パンカク 代表取締役社長の柳沢康弘氏

 そんなインキュベーション施設の一室にオフィスを構えるのが、iPhoneアプリの開発を手がけるパンカクだ。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の印南一路研究室「サイバービジネスの実践」プロジェクトから生まれた会社で、社名は「出版革命」に由来する。この会社の特徴は、大学で研究が進められている“今”の技術をビジネスに結びつけようとしている点だ。

 同社で代表取締役社長を務める柳澤康弘氏によれば、パンカクが手がけているのは、次のような事業だ。

 「パンカクを起業したのは2007年の2月1日。ユーザーがブラウザ上でテキストを入力するとPDF化できるシステムを、LaTeXの技術を使って構築し、オンデマンド・パブリッシングのサービスを展開しています。ほかにもSNS開発やRubyを用いた開発を受注しているほか、iPhoneアプリの開発にも取り組むなど、新しい技術を積極的に使っていくスタンスです」(柳澤氏)

 都内にも拠点があり、営業とWeb制作は都内で、開発は主にSFCのオフィスで行っているそうだ。今後はWeb制作も含めた開発をSFCオフィスに集約する考えで、それは新しい技術を積極的に使っていく原動力が大学内にあることが一因だという。

 「学内から才能ある人たちを集められたらと思っています。例えば最近取り組んでいるiPhoneアプリは、プログラマーだけでなく、デザインや翻訳、インタフェース、3Dモデリングなど、さまざまな才能が必要になります。大学に近い施設でオフィスを広げ、もう少し学生が集まりやすい雰囲気を作れたらと思っています」(柳澤氏)

 SFCに限らず、大学にはさまざまな人がいて、才能を開花させている人も多い。iPhoneアプリなどは、学生の興味をひく分野でもあり、さまざまな興味や研究の分野を持っている彼らにとって、ピッタリのテーマなのだ。

Photo 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス内にあるインキューベーション施設に開発拠点を置くパンカク。左から横江宗太氏、塚田真之介氏、柳澤康弘氏
Photo パンカクのiPhone向けアプリ「クリスマスカメラ1」のデモ。写真をデコレーションするだけのアプリだが、これも拡張現実ツールとしてのバックグラウンドをかいま見せてくれる

研究の延長上にあるアプリ作り

Photo パンカク 取締役副社長の塚田真之介氏

 パンカクが収益基盤の1つとして立ち上げようとしているのが、iPhoneアプリの開発事業だ。システム開発を手がける企業が自社ブランドの製品を直接ユーザーに販売できる機会が少ない中、App Storeはその手段を提供しており、これを生かそうという考えだ。SFCには、こうした事業に関心を持つユーザーがいるほど、iPhoneが流行っているのだろうか。

 「SFCのiPhone普及率は3%くらいでしょうか。他の大学と比べてどうなのかは分かりませんが、SFCの学生はこういうデバイスに最初に飛びつく種類の人だと思っていたので、感覚としては少ないと思います。ただ、研究には非常に使いやすい、身近で魅力的なデバイスではあります。特に、ユビキタス系の研究をしている人たちにとっては格好のガジェットで、日本のケータイでは実現できなかったアプリやアイデアを具現化できるようになるはずです」(パンカク 取締役副社長 塚田真之介氏)

 普及率は3%程度ながら、大学内にはiPhoneのアイデアが渦巻いているという。例えば拡張現実をテーマに研究しているゼミでは、iPhoneアプリのプロトタイプを作った上で実験を行ったり、論文を書くなどの活動が見られるそうだ。これらのアイデアからヒット作が生まれる可能性もある。

研究成果を世界に問うチャンス

Photo パンカク 最高技術責任者の横江宗太氏

 パンカクは2009年2月までに11のiPhone向けアプリをリリースしている。相性判断や3Dのバイクゲーム、クリスマスカメラのような拡張現実アプリケーションなど、多彩なラインアップの中で、音楽系のアプリが6本ある点が特徴的だ。

 この音楽系アプリを開発しているのが、パンカクCTOの横江宗太氏。入学以前から音楽ソフトの開発を手がけており、現在もコンピュータミュージックを専攻する学生である。PASY01、PASY02は、彼の研究の延長上で生まれたアプリだという。

 「研究ではアイデアを作り、プロトタイプを作って論文を書きます。その上で、iPhoneアプリ向けに再構成して、パンカクのアプリとして販売してきました。研究成果をそのまま無料で配布してもいいとも思いますが、実際には“研究は研究、ビジネスはビジネス”というスタンスを取っています。ただ、アプリとしてデザインを整え、マニュアルやチュートリアルを作り、それらを翻訳するとなると、コストがかかってしまい、悩ましいところでもあります」(横江氏)

 このように研究用に作ったアプリを公開できる環境があることが、「非常に面白い状況になっている」と話すのが横江氏だ。

 「自分の研究をApp Storeに登録することで、いきなり自分のアイデアを世界に問えるという、今までにない環境が生まれたわけです。今後、App Storeでのレビューや評価が、研究へのフィードバックとして生かせるようになるかもしれません」(横江氏)

 研究は、大学内や学会内の閉じた評価(それもまた重要だが)で完結してしまうことが多いが、それをApp Storeで公開すれば、いきなり世界中の人たちからの評価が得られることになる。これはビジネスに限らずメディアアートの世界でも、成立するのではないだろうか。

 こうしたスタイルが公認されると、個人がアプリ販売で研究資金を集め、新たな研究や創造を続けることが、今まで以上に手軽に行えるようになる。もちろんすべての研究者が資金を集められるわけではないが、成立すれば理想的なモデルとなるはずだ。

 横江氏がまさに直面している「面白い状況」について、柳澤氏は「パンカクとしても、研究とビジネスの融合のモデルを作っていきたい」とサポートする方針だ。

 アプリの開発や発表の場が研究の現場と直結しているという環境は、研究者へのフィードバックのあり方を変えるだけでなく、最新の研究内容を試すことができる点で社会にとっても有意義なことだ。

 大学の研究とビジネスの融合モデルを通じた“壮大な実験”が、成熟期のモバイル市場の活性化につながるのではないかと期待が高まる。

パンカクのゲームアプリ、米AppStoreの有料アプリランキングでトップに

 そんな世界を狙うパンカクに、うれしいニュースが飛び込んできた。同社のiPhoneアプリ最新作である「LightBike Full Version」が、2009年2月7日、米AppStoreの有料アプリランキングで1位を獲得したのだ。このアプリは1982年のディズニー映画「トロン」をモチーフにした、パズル要素もあるバイクゲームだ。

 相手が走った軌跡が壁になり、どれだけ長く走り続けられるか、というルールで、1台のiPhoneを2人で使うモード、Wi-Fiで対戦するモードなどに対応する楽しいアプリだ。無料版「LightBike Free Version」が20日間で総計60万ダウンロードを記録し、「LightBike Full version」も現在1日1万5000ダウンロードと、その勢いは止まらない。



プロフィール:松村太郎

Photo

東京、渋谷に生まれ、現在も東京で生活をしているジャーナル・コラムニスト、クリエイティブ・プランナー、DJ(クラブ、MC)。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。1997年頃より、コンピュータがある生活、ネットワーク、メディアなどを含む情報技術に興味を持つ。これらを研究するため、慶應義塾大学環境情報学部卒業、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。大学・大学院時代から通じて、小檜山賢二研究室にて、ライフスタイルとパーソナルメディア(ウェブ/モバイル)の関係性について追求している。



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