先週のアクセス1位は、一部のAMラジオ局が放送が2月1日から休止されるというニュースだ。ワイドFMやネットラジオへの転換を検討するための試行で、北陸や東海、山口など一部の局で、最大1年の期間限定で行われるようだ。
筆者は在宅勤務なこともあって、ラジオをよく聴いている。インターネットラジオ「radiko」のおかげで東京にいても故郷・関西の番組が聴けるのがありがたく、関西から東京、北海道まで、いろいろな番組を聴いている。
この記事を執筆中に聴いているのは、FM大阪の「LOVE FLAP」。関西弁女性ラジオDJの草分けである谷口キヨコさんの番組で、チャキチャキの関西おばちゃんトークに爆笑できる。
一方で、昔ながらの携帯ラジオも買った方がいいのではないか、と最近よく思う。防災のためだ。
筆者は1995年1月の阪神淡路大震災で停電・断水した地域に住んでいた。地震が起きた早朝、当時高校1年生だった筆者は、CDコンポ付属のラジオで、FM大阪の「朝錬5」(アサレン ファイブ)という番組を聴きながら宿題をしていた。最初は小さな揺れを感じて「あれ? 地震かな?」と思っていたらラジオが途切れた。揺れはどんどん大きくなり、突き上げるように揺さぶられ、家が壊れるかと思った。
揺れが収まると、落ちてきたものでぐちゃぐちゃになった家から出た。寒かったので、家族で車の中に避難したのだが、そのときに聴いたのもラジオだった。ただ当時は神戸や西宮からの情報が入っておらず「大阪で震度4」などとのんびりした放送が続いていて、「いやあの揺れは、そんなもんじゃない」と思っていた。
筆者の実家はその日の午前中に電気が復旧し、テレビが見られるようになった。だが、映るのは凄惨な被災地か、平和すぎる被災地以外の様子。どちらを見ていても辛くなるので、テレビを消した。
そこで活躍したのもラジオだった。ラジオをつけると、関西の番組のDJは一様に、被災地に心を寄せてくれていた。優しいメッセージをくれ、励ましてくれていた。毎日、昼も夜も余震があってそのたびに震えていたが、枕元にラジオを置いて、DJの優しい言葉に勇気付けられた。
インターネットがほとんど普及していなかった当時だが、ネットや携帯電話があったとしても、あの規模の震災ならば、しばらくつながらなかった可能性が高い。電気や携帯の電波がダメでも、情報収集できるのが携帯ラジオだ。映像がなく、刺激が薄いからこそ、非常時に癒やされる面もある。
今は、LEDライト機能が付いた防災ラジオなど、さまざまな機種が販売されている。災害に備えて1つは置いておきたいと改めて思っている。
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