当たり前のようにして(搭載する液晶ディスプレイのサイズ別に)3台のノートPCを使い分けてきた。1台は2泊以上の出張用に15インチクラスの大型ノート。もう1台は長丁場の会議やインタビュー取材用の12インチクラスノート、そして、さらに1台は普段の持ち歩き用の10インチクラスノートだ。さらに、自宅で作業するデスクトップPCには20インチクラスのディスプレイを2台つないで使っている。
デスクトップPCに向かって自宅で作業する時間が長いのはしょうがないとして、結果として、最も多く持ち歩いているのは、一番コンパクトな10インチクラスである。この製品を手に入れるまでは、常用携帯ノートも12インチクラスだった。だが、電車の中でTVを見るような使い方には、12インチはちょっと大きい。そう思って10インチクラスを使い始めたら、思った以上に使い勝手がよく、すっかり常用するようになってしまったのだ。
もっとも、最近では、MPEG-2対応のデジタルメディアプレーヤーとしてNEC「VoToL」を使うようになりつつある。電車の中で録画したTV番組を見るならVoToLが手軽だと思うようになると、重さがたいして変わらないなら常用するのは12インチでもいいかなと宗旨替えしつつあるから勝手なものだ。
折も折、Windows Vistaとthe 2007 Microsoft Office systemのβ2が公開されて、これらを日常的に試す必要がでてきた。そのプラットフォームとして、NECのLaVie Jを選んだ。12インチクラスのディスプレイを持つ1000グラムちょっとのワンスピンドルノートだ。しばらく768Mバイトのメモリで試していたが、どうにもスワップが多いようなので、1Gバイトのメモリを買ってきて総量1.2Gバイトにしたらずいぶんマシになった。ただ、グラフィックスが貧弱なので、残念ながらAero Glassは無効である。
複数台のPCがあると、とても便利であることは分かっている。でも、それは、誰にでも強要できるものではない。コストの問題もあるだろうし、保管スペースの問題もある。さらには、複数台のPCにデータを重複して持たせるためのソリューションも無視できない。
だから、結局は、いろいろなことが面倒になり、1台のPCにすべてを求めることになる。そうなると、ワンスピンドルでは物足りないし、10インチクラスはいかにも小さすぎる。まして、自己所有の唯一のPCとなると、それなりのパワーも欲しくなる。そして、重量級のノートを選ぶという結末になってしまうのだ。それならむしろデスクトップPCと大画面ディスプレイの組み合わせのほうがコストパフォーマンスも高くてお勧めなのだが、もしかしたら持ち出すこともあるかもしれないという懸念が頭をよぎり、ノートを選んでしまう。それが、世の中の普通の感覚だ。
そういう感覚を、自分の中で忘れていたことに気がついた。それを思い出させてくれたのは、奇しくもMacだった。Intel Macがこれだけ話題になっているので、どれかを選ぼうとしたときに、ぼくは何を選ぶかというと、これがやっぱり、17インチのMacBook Proを選んでしまうのだ。これは、通常の感覚の持ち主が唯一無二のノートPCを選ぶ気分に近い。3キロ超の重量は、日常の持ち運びは論外だが、もしかしてということもある……、なんてことを考えてしまう。それに、広くて大きな画面はやっぱり使いやすい。そんなわけで、Macを毎日持ち歩き、常用できるようになるまでには、まだ、もう少しハードウェアの進化が欲しいななどと自分に言い訳をしながら、重量級の17インチMacBookが唯一の選択肢として残るわけだ。きっと、デスクトップIntel Macが発売済みであっても結論は同じだろうと思う。
世の中の多くの人々が現状で感じるであろうこのジレンマは、モバイル指向のPCのセールスを大きくスポイルしているにちがいない。デスクトップを含む3台、4台を使い分けるというのは大仰だとしても、せめて、メインとサブ、プライマリとセカンダリといったペアでPCを考えることができれば、互いに足りない部分を補完させるようにして製品を選ぶに違いない。世の中の方向性が、そうなってくれば、モバイルノートのバリエーションももっと充実するだろうし、今はあまり熱心でないメーカーも積極的に参入し、選択肢は増えていくはずだ。
ぼくは、そうなる日が必ず来ると信じているし、そうならなければならないと思う。というか、そういう世の中になるようにがんばるのが、不可能が可能になっためくるめく10年間を経験してきた世代の義務だと思う。そうでなければ、ようやく手に入れた知的生産活動を増幅する機械を有効に利用する機会は激減し、ハードウェアやソフトウェアの進化も停滞してしまうだろう。
たまに、PCを持たないで街に出てしまい、何かを調べたくてイライラすることがある。マンガ喫茶に入ってPCの前に座るほどでもなく、かといって、携帯電話で調べるには荷が重いようなことだ。ターミナル駅周辺なら、ちょっと歩き回れば、量販店などに各社のPCが陳列されているので、それを拝借すればいいとも思うのだが、そうは問屋が卸さない。たいていの陳列機はインターネットに接続されていないからだ。そりゃそうだろうとも思うが、なんできょうはPCを持ってこなかったのだろうと、自分に腹がたつ。
10年前は、ブロードバンドどころか、インターネットへの常時接続なんて夢のまた夢だった。それを考えれば、携帯されるノートPCがインターネットに常時接続するのも、今は夢でも数年先なら現実になっているかもしれない。そんななかで、DRM(デジタル著作権管理)をうまく機能できれば、購入した新刊や文庫などの書籍、雑誌などの内容をそっくり収録したPDFへアクセスできるURLがオマケについてくるようになるかもしれない。まだまだ中途半端だが、週刊現代や週刊ポストの一部コンテンツがそうなっているように、週刊誌や少年、青年コミック誌などは、思いついたときに読みたい記事、作品のデータだけ買えるのが理想だ。電車の中吊りで気になる記事を見つけたら、その場で買えたらどれだけ便利か。音楽コンテンツがそうなりつつあるのだから、雑誌記事がそうならないはずがない。これまたすでに、サンケイ新聞がそうなっているように、スポーツ新聞を含む日刊紙の朝刊や夕刊も、全面広告を紙のレイアウトイメージをPCで読めるようになるかもしれない。
メールやWebは携帯電話で十分だと感じていても、こうしたリッチなコンテンツは、やっぱりPCで閲覧したい。本当なら、見開きタブレットといったハードウェアがとっくに登場していたっていいはずなのだ。
ハードウェアを作るメーカーだけがトレンドを作るわけじゃない。インフラやコンテンツプロバイダもそこに参加した過去をひきずる新たな時代のエコシステムを期待したい。携帯電話だって通話だけなら、これだけ普及することはなかったのだから。
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