1989年6月に発売されたDynaBook J-3100SSの衝撃はすごかった。2.7キロでバッテリー駆動時間が2.5時間のA4ファイルサイズのノートPCだった。19万8000円という当時としての価格もすごければ「みんなこれを待っていた」というキャッチフレーズも鮮烈だった。あの衝撃をもう一度体験することはできるのだろうか。今回は、東芝PC&ネットワークス社を訪ね、、妹尾奉典氏(PC第一事業部PCマーケティング部プロダクトマーケティング担当グループ長)と荻野孝広氏(PC第一事業部PCマーケティング部マーケティング担当主務)に話を聞いてきた。
──そもそも東芝がここまでノートPCという形態にこだわるのには何か理由があるのでしょうか。たとえば、Qosmioシリーズなどは、ノートにこだわらなければ、もっと別のアプローチもあるように思えるのですが。
荻野 東芝の製品はビジネス向けとコンシューマー向けに分けて考えることができますが、いずれの場合も思想はシンプルです。つまり、「パーソナルコンピュータ」を考えるときに、使いたいときにすぐに使えることが大事だということなんです。それは、仕事でも遊びでも同じです。持ち歩けるもの、移動できるものという点が重要なんですね。PCが設置されている場所に人間が行かなければならないのでは意味がないんです。
Qosmioについては「私の空間」という意味を込めてネーミングされ、AVをプライベートで楽しむことがコンセプトになっています。こうした空間であっても、やっぱり、持ち運べなければならないということです。
ある意味で、PCは個人の知的情報のようなものを生み出すためのツールでなければなりません。Qosmioでも同じです。ユーザーができることはAVを受け身で楽しむだけではないのですよ。今は、インターネットで、ある情報を探し出して、さらにそれを個人が加工したり、それをテーマにブログを書くようになっています。蓄積した情報を取り出すだけではなく、取り出した情報をどう扱えるのかが求められています。すなわち、コンテンツはきっかけにすぎないんですよ。
妹尾 OSそのものにユーザー切り替えとかの機能がついて、マルチユーザーでの使い方を提案していますが、基本的にはやっぱりPCは個人のものですね。ただ、これからは、ネットワークで別のPCに映像コンテンツを配信する方向にシフトしていくでしょうけれど。
─―PCにできることは、この10年でそんなに変わってはいないように思えます。東芝のノートPCは変わりましたか?
荻野 この10年で、スペック的にはずいぶん変わりましたね。デジカメが普及して、ブリッジメディアが増えてきましたが、(東芝のノートPCは)すべてに対応しました。ワイヤレスネットワークも必須となっています。それに伴って、利用するコンテンツのセキュリティとか著作権も考えなくてはならなくなりました。CPUはもちろん高速になっています。
AVとの融合を考えたときに、TVチューナーを積んで録画できるようにすることのほかに、ブロードバンドの普及により、IP放送を鑑賞するようなニーズなど、コンセプチャルな部分も変わってきています。となると、今度は個人が情報として映像を配信、発信するような一連の流れのソリューションを考えていかなければなりません。
10年前はファクシミリや電話がなければ仕事になりませんでしたが、今はメールだけでも仕事ができますよね。昔は何でもフェイスツーフェイスから始まっていました。それも今はメールで始まることが多いでしょ。その分時間効率が上がったわけですよ。拘束される時間が減りました。その時間が新たな付加価値を生む時間にまわっているんです。
かつては、情報センターで資料をあさったり、新聞を読んだりといったことで調べ物をすることにかなりの時間を費やしていました。納得のいくリサーチのためには、おそらく今の数十倍の時間がかかっていたはずです。今はWebサイトを検索すれば、たいていのことがすぐに分かります。だから、付加価値もつけやすくなっています。
妹尾 ただ、データを集めることは早くなったんですが、それを整理したりまとめたりするところはほとんど自動化されていないんです。そこが究極の終着駅じゃないでしょうか。そこがもっとも面倒な部分ですからね。羅列はできても絞り込みが難しいわけです。それをなんとかしたいと思っています。AV系なら、映像をダイジェストで見たいとかCMカット編集くらいは自動でやってほしいと思いませんか。東芝としては、そういう面が他社製品と差別化できるところかもしれません。
荻野 インターネットの進化を見れば分かるように、Webサイトの検索は使いやすくなりました。プライベートコンテンツも増えてきています。でも、単に集めるだけ集まってきているにすぎないというのが現状です。それを使いたいときに使う、見たいときに見るという環境がまだ不十分です。
妹尾 音楽なんかにしても、取り込むだけ取り込んで蓄積はできますが、その先がまだうまくまわっていません。ユーザーのちょっとした使い勝手を改善してあげるような要素がほしいですね。グッとしぼりこむのもいいが、候補を出してくれるような、お手伝いレベルのことをやってくれる感じでしょうか。スポーツ映像ならサッカーのゴールシーンなどの絞り込みはそんなに難しくはないはずです。PCに温度センサーや光のセンサーをつけて、今、ユーザーの気持ちがどのような状況にあるのかを判断して、それにマッチした選曲をしてくれるくらいのことはできていいはずなんですよ。
荻野 そう、ライフスタイルのサポートね。そのために何ができるかが重要です。
妹尾 私が個人的に利用しているオンラインショップは、ユーザーのお勧め商品をメールで届けたりマイストアで表示したりするのですが、それをけっこう買ってしまうんですね。かなり当を得た情報が提供されていると思います。なのに、PCの中のコンテンツでは、そういうことがまだできていません。来年の春といった短期的なスパンでできるかどうかは分かりませんが、少なくとも、東芝がやりたいことのひとつです。
─―ノートPCの形態そのものは、軽薄短小化はともかく、基本的なフォルムはずっと変わっていませんが、今のままでよいんでしょうか。
荻野 形に関してはいろいろやっています。とくにクラムシェルにこだわってはいるわけではありません。でも、コストの問題や技術の問題でできることとできないことがあるんです。いろいろなチャレンジを研究しているけれどなかなか難しいですね。
妹尾 ちなみに、Qosmioは成功したシリーズとして評価されています。だから、ほかのセクションからいろんなことをいってくるんです。この技術がQosmioで生かせないかとかの打診があります。すると、社内にどんな技術があるのかも見えてくるんです。
荻野 高画質化技術、ホームネットワーク、ヒューマンインタフェース、セキュリティ、オルウェイズ・オン、高い堅牢性と信頼性、高密度技術。東芝はこの8つの要素に注力しています。これらはどこにも負けたくないし負けていません。そこは、東芝の強みですね。
妹尾 最初にこんなPCが欲しいというプランが商品企画でできて、そのためにはどんな技術を使えるかを考えていきます。
荻野 昔は技術オリエンテッドで、まずテクノロジありきでした。ところが最近は、商品企画の上でもライフスタイルやニーズ、リクエストなどを意識することが多くなってきています。中長期の技術のレベルあわせが必要になりますから、以前よりも商品企画に神経を使うようになりましたね。
妹尾 今、PCが携帯電話ほどには普及していないのは、PCに足りない部分がたくさんあるからだと思っています。2000年ごろのほうが電車の中でPCを使っている人をたくさん見かけたかもしれませんね。今は情報漏洩や個人情報保護の点で、PCはできれば持ち運びたくないような状況になっています。もちろん、重量、バッテリー、底面積などの問題も大きいです。さらに、今のPCは、座らないと使いにくいというのも問題です。
荻野 PCを使うには、ある程度のワーク領域が必要だからでしょうね。膝の上といった物理的なスペースがね。
─―PCは本当に1人に1台でいいんでしょうか。
荻野 東芝としては、PCは「マイPC」であると考えていますから、一人一台は必須ですね。でも、まだ世帯あたりの普及率は確保できても、国民全員というわけにはいかない。
妹尾 でも、夢とかではなく、現実として1人1台の時代は目の前にやってきていると思いますよ。
荻野 そうなったとしても、私は1台でいいと思いますね。メインとサブの2台というのはあまり現実的ではないんじゃないかな。
妹尾 でもね、17インチは据え置きで使うのにはよくても持ち運びがたいへんでしょ。持ち運びできることが重要ならば15ワイドくらいが限度かな。でも、そのサイズの液晶ディスプレイを搭載したPCにオールマイティを求めるのは無理がありますよ。いずれにしても、当面の目標としては、1家に1台というよりも、さらにもう1台をめざしたいですね。
荻野 ホームセンターに相当するPCが1台あって、家族は自分のPCを1台ずつ持つという感じかな。結局、プロセッサとしての処理能力、表示能力、入力能力は筐体の大きさとはあまり関係がなく、そこをどういうデバイスで実現するかだけなので、自分のコアとなるPCは1台でもいいのかなとも思いますね。
─―モバイルパソコンは、この先どうなっていくんでしょう。
荻野 究極のモバイルは、まだまだだと思いますね
妹尾 大きさ、重さ、バッテリー、どれをとってもまだまだです。まだ、アラン・ケイがいうところのパーソナルメディア、“ダイナブック”にはなっていません。だからといって、何かを削ってPCとしてパワー不足だと思わせるようなことがあってはなりません。普通のビジネスアプリが普通に使えることは必須で、そのための解像度も必要です。そこを妥協したらおしまいです。セカンドマシンとして割り切って使う人はそれでよくても、それをファーストマシンとして使う人もいるわけだし。そんな人にもストレスを感じてほしくはないからです。
荻野 Qosmioのようなコンシューマー向けの製品とビジネス向けの製品の両方をやっていると、正直なところ、モバイルというところは手が回りにくいんですね。でも、いつまでもそうはいっていられないから、あえてやっていくつもりではあるのですけど。
妹尾 いずれにしても、戦う状況は整ってきたと思います。市場の規模は素地としてあることは分かっています。だから、次はモバイル系に積極的に参入していくつもりです。そのために、社内のリソース配分をシフトしていく予定になっています。次は東芝のモバイルに期待してください。
荻野 東芝として、シン&ライトの分野のプライオリティが下がっていたのは事実です。コンシューマー向けはQosmioで市場を作り上げようとしてきたし、(コストパフォーマンスを重視した)コモディティPCも充実させてきました。ビジネス向けはスタンダードとして、低コストの製品で成功しています。他社にモバイルPCにシェアをとられているように見えて、実を言うとビジネス向け市場ではそうでもないんですよ。
妹尾 ある意味、Windows Vistaはモバイルを変えるかもしれませんね。メディア再生や、そのほかのアプリケーションを瞬時に動かせるWindows HotStartの技術なんかには、けっこう期待しています。これを使ったコンセプトモデルも作ろうとしているんですよ。
荻野 力を入れようとはしているんですが、でも、ごめんなさい、今は言えません。迷いもありますね。明らかに松下電器産業が広げた市場はあるし、それが1つの成功事例であることも分かっています。そこをしっかりとにらんだ路線も他社にあります。でも、東芝としては、そのバランスがまだ見えないんです。同じものは作れますよ。でも、品質認定で難しいことが多いんです。同じものは作れても、売ることができないんです。それが、東芝にとって大きな足かせかもしれませんね。
いずれにしても、一点豪華ではなく、実用的に使えるマシンを作りたいと考えています。処理能力、薄さ、バッテリー稼働時間などを含めてね。
妹尾 実はね、日本人に特化したPCをやっているんです。こればかりは、東芝くらいしかできないって製品ですよ。だから、しっかり見ていてください。
アッと驚くような製品を競合他社が開発したとしても、東芝ほどのメーカーであればごく短時間でキャッチアップして、少なくとも、同じものなら作れてしまえる。
しかし、それを商品として出荷できるかどうかは別問題だ。例えば、筐体全体を使って放熱するようなPCは膝の上にのせて使うには熱すぎるからという理由で、同社では出せないという。荻野氏の吐露するようなジレンマは、おそらく松下電器産業もソニーも、そしてNECも富士通も、それぞれが個々の事情として抱えているものだろう。
ユーザーがメーカーに対して抱くイメージを裏切らないで、魅力的な商品を作り、そして売ることは難しい。いい意味で裏切ることも難しい。でも、彼らが自分たちの製品を、まだまだだと口にしてはばからない以上は期待はつながる。真のダイナブックは、未だ、登場していないのだ。
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