“30歳で営業課長”の超出世挑戦者たちの履歴書(60)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、宇陀氏が営業で好成績を残すところまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2010年10月15日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 日本IBM大阪事業所での宇陀氏の営業マン時代は、5年ほど続いた。その間、前回前々回で紹介したように、人一倍の熱意と既成概念にとらわれない自由な発想を武器に、次々と目覚ましい営業成績を上げた。そんな宇陀氏が30歳のときのある日、上司に呼ばれてこう告げられた。

 「課長をやらないか」

 当時のIBMで、30歳の若さで営業課長に昇進というのは、異例中の異例の人事だと言っていい。しかも、通常はヒラから主任を経て、それから課長に昇進というのが一般的なコースだ。しかし、宇陀氏の場合は、ヒラから直接課長への飛び級である。どれほど突出した成績を上げていたかが伺い知れよう。

 しかし同氏は何と、この出世の申し出を断ってしまう。しかも1度や2度ではない。人事査定のたびに課長昇進のオファーを受けては、ひたすら断り続けていたという。

 「当時、僕はまだ30歳。なのに周りには、40歳ぐらいでようやく主任という人もいっぱい居て、そんな中で僕なんかが『課長です』て言ったって、どうせお互いやりにくくなるだけですよ。ほかに諸先輩方がいらっしゃるんだから、そちらの方が先で良いじゃないですかって言って、お断りしましたよ」

 うーん、なるほど。ここまでの宇陀氏の経歴を聞く限り、既成の概念に縛られない進んだ考えの持ち主だという印象が強かったが、いかにも日本人らしい滅私奉公の考えも持ち合わせているのか……。などと思いを巡らせていると、

 「でも、僕にも考えがあってね。下手に若くして課長なんかやるより、自分で直接営業した方が圧倒的に成績が良いんですよ。だってそうでしょ? 自分個人のノルマに対する成績評価であれば、それこそ何百%も達成できるのに、課長となれば課のメンバー全員分の平均値のようなところで業績評価になってしまう。もう『何でだよ!』って思っちゃうよね!」

 冗談めかしてこう笑い飛ばす宇陀氏だが、こういうちょっとキツイ冗談を飛ばしても、ちっとも嫌みに聞こえないどころか、楽しい話に仕立て上げて周囲を明るく盛り上げてくれる。こういう人物が身近に1人いるだけで、職場の雰囲気というのはガラリと変わるものだ。同氏が若くして管理職のオファーを受けたのも、もちろんカリスマ営業マンとしての高いスキルと実績を評価されてのことだろうが、同時にこうしたリーダー的資質を買われたからではなかろうかと想像する。

 こうして、課長に推されては断りを繰り返していた宇陀氏だが、最終的には断りきれなくなり、課長の任務を引き受けることになる。先述した通り、IBMでは異例の若さでの課長昇進だ。

 こうして宇陀氏は、これまで一営業マンとして担当していた製造業のクライアント企業と、今度は営業課長としての立場でビジネスを展開していくことになった。クライアント企業には、当時の関西圏の代表的な製造企業、例えば三菱電機、コナミ、NTNといった大企業が名を連ねていた。これらの企業と付き合っていくうえで、課長に昇進する前と昇進した後で、何か環境の変化はあったのだろうか?

 「ヒラのときもそうだったんだけど、とにかくお客さんに鍛えられたという印象が1番強いですね。本当にいろいろ勉強させてもらった。そしてそれは、IBMにいたからこそ可能だったのかもしれない」

 宇陀氏によれば、営業としてクライアント企業と付き合っていくうえでは、IBMにいることでさまざまなメリットがあったという。そのおかげもあって、当時の同氏はクライアントとの付き合いを通じてさまざまなことを勉強できたという。


 この続きは、10月18日(月)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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