通信サービスに“ピンっと来て”就職挑戦者たちの履歴書(83)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、ジュニパーネットワークス社長の細井洋一氏が米国の大学を卒業するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2011年02月07日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 1979年、米コルビー大学経済学部を卒業した細井氏。次に控えるは当然、就職活動だ。コルビー大学に在学中から、米国企業からのオファーも何社か受けたが、ひとまずは日本に帰国することにした。

 日本でも数社からオファーがあり、実際に面接も受けてみたものの、細井氏にはどうもしっくり来なかったという。

 「人事担当者が第一声、『君は麻雀ができるかね?』と聞くんです。『麻雀ぐらいできないと、クライアントと会話できないよ』ということなんですね」

 これまでスキー一筋で、麻雀などとはまったく縁のない青春時代を過ごしてきた細井氏。「これは、ちょっと違うな。俺が行くところではないな……」。そんな、日本企業の古い体質に違和感を抱いていたころ、母親の知り合いのつてで、当時のアメリカ商工会議所の会頭を紹介してもらう機会があった。さらにその人物の紹介で、元会頭のウィリアム・H・カイル氏を紹介してもらった。この人物との出会いが、その後の細井氏の人生を大きく左右することになる。

 カイル氏は当時、「カイル・インターナショナル」という会社を経営しており、貿易や通信サービスなどさまざまなビジネスを手掛けていた。きっとカイル氏は、初めて会った細井氏に何か感じるものがあったのだろう。早速、「今うちで通信サービス事業を手掛けてるいるのだが、担当者がいないのでやってみないか?」と細井氏にオファーを出す。

 「通信サービス?」。そのとき、細井氏にはピンと来るものがあったという。

 「当時、アメリカのジミー・カーター政権が、AT&Tが長年独占していたアメリカ国内の通信事業の自由化を推し進めていたんです。そのことを知っていたので、さしたる根拠はなかったんですけど、『通信サービス? ひょっとすると……』と思ったんですよね」

 こうして細井氏は、カイル・インターナショナルに入社することとなる。担当するビジネスは、同社が代理店を務めていた英バイテル・ネットワーク社(以下、バイテル)の国際テレックス中継サービスだった。

 「テレックス」と聞いても、ひょっとしたら若い読者にはピンと来ないかもしれないが、FAXや電子メールの前身のようなものだ、ととらえてもらえれば良いだろう。タイプライター型の端末を通信回線につないで文字情報を送受信するサービスで、FAXの登場以前は、特に国際ビジネスにおいて海外と文書をやりとりする用途で重宝されていた。

 バイテルが提供していたサービスは、このテレックスの送受信を自社の設備で中継し、そこから複数箇所に一斉配信することで、通常のサービスより安価にかつ高速にテレックスの大量配信を可能にするというものだった。

 当時、カイル・インターナショナルでこのビジネスを手掛ける人員は、細井氏以外にほとんどいなかった。入社早々にマネージャに就任した同氏は、早速営業に奔走する。

 「といっても、営業の経験もまったくなかったので、まずはとにかく電話をかけまくりました。でも、初めの内はもうしどろもどろで、今思うと本当にひどかった! 一時は電話が怖くなりましたよ。『電話したら、また断られるんじゃないか……』と思うとね」

 しかし、根気よく続けていく内に、不思議と要領がつかめてくる。どう電話をかければアポが取れるのか、どんなタイミングで訪問すれば話を聞いてもらえるのか、だんだんとコツがつかめるようになってきた。

 例えば、大阪での販路を開拓したときの話だ。

 当初は大阪に事務所がなかったので、現地のホテルの部屋を1週間とり、そこからひたすら地元企業にセールス電話をかけまくった。しかし、どうにも反応が鈍い。しばらく続けた後、はたと細井氏は気付く。「ひょっとしたら、言葉の問題ではないか? 俺の東京弁ではなく、地元の人に関西弁で電話をかけてもらえれば、ひょっとしたら良い反応が返ってくるのではないだろうか?」。

 そこで早速、代理店の事務所の一角を借り、そこから地元の人間にセールス電話をかけてもらった。すると、今までの不調がうそのように評判が良い! この作戦は見事に功を奏し、やがて自社の大阪事務所を開設するまでに大阪でのビジネスを伸ばすことができた。

 ちょうどそのころ、東京でも超大手顧客の契約を獲得した。1年間粘り強く毎週通い続け、大和証券との大型契約をゲットしたのである。

 「いつものように大和証券を訪問したら、当時ちょうど香港駐在から帰国したばかりの次長さんに肩をたたかれたんです。『君はどこの部署かね?』と。あまりに頻繁に顔を出していたので、大和証券の社員だと思われていたんですね!」

 その次長氏は香港帰りだけあり、海外の通信サービスの最新事情に長けていた。早速バイテルのサービスについて説明すると、即座にそのメリットを理解してもらえたという。細井氏も、「あの次長さんとの偶然の出会いがなかったら、あの案件は取れなかったと思う」と振り返る。

 その後は、とんとん拍子に話が進み、最終的にはバイテル社にとってワールドワイドで最も大規模な案件になった。この案件以降、日本におけるバイテルのビジネスにはさらに弾みが付くことになった。

 ときに、1983年。そのころには、細井氏が手掛けるバイテルのビジネスは、ほかにもさまざまなビジネスを手掛けるカイル・インターナショナルの中にあって、断トツの稼ぎ頭にまで成長していた。


 この続きは、2月9日(水)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


「挑戦者たちの履歴書」バックナンバー

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ