顧客のために個人的に2000万円を保証挑戦者たちの履歴書(84)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、ジュニパーネットワークス社長の細井洋一氏が就職するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2011年02月09日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 1985年は、当事細井氏がカイル・インターナショナルで手掛けていた、英バイテル・ネットワーク社(以下、バイテル)の国際テレックス中継ビジネスにとって、一大転機となった年だった。あるいは細井氏に限らず、当時通信サービス事業に従事していた全ての人々にとって、1985年は忘れられない年だったかもしれない。

 1985年4月1日、それまで日本国内の通信事業を事実上独占していた電電公社(日本電信電話公社)が民営化されるとともに、通信事業への新規参入が認められるようになったのだ。細井氏が当時手掛けていた国際テレックス中継サービスのような事業も、申請すれば正式に通信事業として認められるようになったのだ。

 そのころバイテルのサービスは、既にそのサービス内容やコストメリットが多くの企業に認められ、日本国内で順調にシェアを伸ばしつつあった。しかし、正式に通信事業者として認められれば、これまで以上に大掛かりに宣伝や販促活動を行えるようになる。さらなるビジネス拡大を図るためには、絶好のチャンスだ。

 そのためには、いつまでもバイテルの一代理店としてのポジションに甘んじてはいられない。通信事業者として日本国内で認められるためには、独立した会社としてやっていく必要がある。細井氏はカイル氏(カイル・インターナショナル社長)とともにロンドンへ飛び、バイテル本社の会長に直談判した。

 「日本におけるバイテルのビジネスを急拡大するチャンスです。ぜひ会社を設立しましょう!」

 こうして1984年、通信自由化に先立つこと1年前にバイテル・ジャパンが設立された。同社の社長にはカイル氏が就き、細井氏はゼネラルマネージャとしてバイテル・ジャパンのビジネス全般を指揮することになった。

 翌1985年、バイテル・ジャパンは晴れて一般第二種電機通信事業者としての資格を取得する。国から正式な通信事業者としてのお墨付きをもらい、これまで以上に積極的にビジネスを展開できる環境が整ったわけだ。

 「外資系企業など、国際テレックスの通信ボリュームが多い企業は、軒並みバイテルのサービスに興味を示してくれましたね。あとは、三光汽船や日本郵船、商船三井など海運会社のクライアントも多かった」

 しかし、海運会社と同じくグローバルにビジネスを展開している企業でも、商社などにはさっぱり売れなかったという。海外から入ってくる情報の鮮度と正確性がビジネスの命運を握る国際商社では、既に自社用の専用回線を引いているため、バイテルが提供するような中継サービスのニーズがないのだ。

 「このころから、『こういうサービスはどういう業態、どういう企業に向いているんだろう?』ということを真剣に考えるようになりました。要するに、マーケティング戦略ですね。このときの発想は、今でも変わっていません。例えば、ジュニパー・ネットワークスの製品の特徴である『ハイパフォーマンス・ネットワーキング』は、ネットワークのレイテンシにシビアな業界、例えば金融や医療、ゲームなどで自ずとニーズが生まれる。逆に言うと、そうしたニーズがないところには訴求しても意味がない。この考え方は、30年前も今も変わってないですね。『必要ないところに持って行っても買ってくれないよ』ということです」

 これまではどちらかというと、昔を懐かしむ風に楽しげに語っていた細井氏の口調が、この辺りからだんだん熱を帯び始める。やはり同氏は、生粋のビジネスマンだ。ビジネスの話になると、自然と話に力がこもってくる。

 1985年当事に話を戻そう。この年は、もう1つ細井氏にとって忘れられない出来事があった年でもあった。同年8月13日、バイテル・ジャパンの大手顧客であった三光汽船が、巨額の負債を抱えて会社更生法を申請したのだ。当時としては戦後最大規模の倒産だったにもかかわらず、ちょうど前日に日航機墜落事故が発生したため、メディアでの扱いは比較的小さなものだった。

 英国のバイテル本社からは早速、「不良債権化するリスクがあるので、三光汽船に提供しているサービスを即刻停止せよ」とのお達しが届いた。事実、ほかの通信事業者は三光汽船に提供しているサービスを早々に停めていた。しかし同時に細井氏の下には、三光汽船の通信課長からの切羽詰った依頼も届いていた。

 「『会社更生法を適用した後も、当社は業務をこれまで通り継続する』ということを、世界中の荷主や船主、さらには航行中の船に向けて、テレックスでなるべく早くアナウンスしなければいけないとのことでした。そうしないと、荷物を盗まれちゃったり、最悪のケースでは船長が船ごとブローカーに売り飛ばしてしまう危険性もあったんです。そこで通信課長さんが、『頼むからサービスを停めないでください』と頼んできました」

 三光汽船は長年の付き合いのある大事な顧客であり、先方の担当者にも細井氏は全幅の信頼を置いていた。そこで、バイテル本社のCFOとサービス継続について掛け合ったところ、最終的に返ってきた答は「お前が個人的に2000万円を保証するのであれば、サービスを継続しても良いだろう」だった。

 「このときはもう腹を決めて、『よし、分かった。俺が保証する!』と啖呵を切って、三光汽船に対するサービス提供の継続を決めました。結果、先方の損害を未然に防ぐことができて感謝されましたし、お金もすぐに払っていただきました。でも、実は、内心ちょっとドキドキしていて、『あー、もし焦げ付いてしまったら、誰に2000万円借金すれば良いんだろう。子どもも生まれたばかりなのに……』なんて考えも脳裏をかすめていたんですけどね」


 この続きは、2月14日(月)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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