なって初めて分かった“社長の苦悩と孤独”挑戦者たちの履歴書(86)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、ジュニパーネットワークス社長の細井洋一氏がバイテル・ジャパン社長に就任するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2011年02月16日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 前回紹介した通り、バイテル・ジャパンの業績を大きく伸ばした功績を買われ、1987年に30代前半の若さで同社の代表取締役社長に就任した細井氏。その後も積極的に同社のビジネスを拡大していったが、意外にも社長の座に就いたが故の苦労も多かったという。

 「就任直後は周囲から『社長、社長』と言われて、ちょっと気分が良かったりしましたけど、問題はその後でしたね」

 やはり社長に就任して、何らかの心境の変化はあったのだろうか?

 「それまでは社長が上にいて、自分はその下でやんちゃ小僧として好き放題やってれば良かったんです。ところが、今度はそのやんちゃ小僧が上に立って責任を取る立場になるわけですから……」

 英国のバイテル本社からは、経営陣の意向が日々バイテル・ジャパンに降ってくる。社長になる前は、そうした本社の意向など意識せずに自分の仕事に専念できたが、社長になるとそうはいかない。自分がバイテル・ジャパンとバイテル本社との間に立ち、本社から雨あられのように降ってくる要求の矢面に立たなくてはいけない。時には本国の意向を抑えたり、あるいは本国からの要求を極力薄めた形で現場に下ろす。そうした調整事が、ひたすら続く。

 「自分が社長に就任する前は、当時の社長がこんな面倒な調整をやっていたことなんて想像だにしなかった。実際、社長の立場になってみて初めて、裏で行われてたことが分かりました。『ああ、あのオッサン、こんな大変なことやってたんだ』ってね」

 社内での立場もがらりと変わったという。社長という立場の孤独さをつくづくと感じるようになったと細井氏は語る。

 「社長になる前は仲間意識を持って一緒にやってきた人たちが、あるとき突然、会社の代表と従業員に立場が分かれるんです。これは、社内でいろんな決議をしていくときに、歴然と分かれてしまう。やっぱり、社長というのは孤独なものなんだなと思いましたね」

 ちなみに、社長に就任して初めて取り組んだことの1つに、税務があったという。社長に就任して1年目、特に何の節税対策も行わずに法人税を申告して納めた。ごくごく当たり前のことを当たり前にやったと思っていた細井氏だったが、思いがけず本社の経理担当者から叱責を受けたという。

 「本社のワールドワイドでの見解は、『税金はきちんと納める。でも、節税できるところは最大限節約する』というスタンスだったんですね」

 そこで細井氏は早速、税務について徹底的に勉強した。その成果は、社長就任2年目の納税額に早くも表れる。前年に比べ、大幅に納税額を圧縮できたのだ。「よし、うまく節税できたぞ」と喜んでいたところ、何と、マルサが査察にやってきたのだ!

 「前の年に比べて納税額が減っているにもかかわらず、業績は伸びているんですから、税務署も当然怪しいと思いますよね!」

 結局それから数カ月間に渡って、税務署の査察に付き合わされるはめになった。しかし、前年とその年の税務処理の違いを詳しく説明し、決して脱税を企てているわけではないことを丁寧に説明したところ、納得してもらえたという。「むしろ、過去に遡って税金を返してもらいたいぐらいですよ!」。最後には、そう査察官に冗談混じりに言ったという。

 「あの体験は、いろんな意味で新鮮だった」と細井氏は言う。

 「アメリカやイギリスの人たちは、納めるべきは納めるけど、その納め方をいかに工夫するかということを常に考えてるんですね。本国の連中はそういう人間たちなんだな、そしてそういう連中の中に自分もいるんだな、ということをあらためて思い知りました」


 この続きは、2月18日(金)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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