気付いたら泳いでいたのは25メートルプール挑戦者たちの履歴書(87)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、ジュニパーネットワークス社長の細井洋一氏がバイテル・ジャパンで活躍するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2011年02月18日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 前回まで数回に渡って紹介してきたように、バイテル・ジャパンで新興の通信ビジネスを次々と成功に導いてきた細井氏。

 同社の業績は好調そのもので、バイテル本社のエグゼクティブとも深い親交を結んだ。「俺はこのまま、ずっとバイテルにいるのかな……」。そんな漠然とした思いを抱いていたころ、細井氏はとある人物と食事の席を共にする機会を持つ。かつて米国留学の相談に乗ってくれた、現スルガ銀行社長の岡野光喜氏だ。

 そのとき、岡野氏に言われた一言が、細井氏の運命を変えた。

 「今、君が泳いでいるのは、25メートルプールだね」

 要するに、オリンピックなどの大きな大会で使われる50メートルプールではない、という意味だ。「君もそろそろ、オリンピック級の大舞台に出て行くべきなのではないのか?」。岡野氏はこう言いたかったのである。

 「この言葉でハッと来ました。『そうだ。井の中の蛙ではなく、もっと大きなビジネスの舞台に出ていかなくては』。すると不思議なもので、偶然同じマンションの上の階に住んでいた、当時のサン・マイクロシステムズ日本法人の人事部長から誘いを受けたんです」

 あまりにも出来過ぎた話のようにも聞こえるが、巡り合わせとはこういうものなのだろうか。

 ちょうどそのころ、サン・マイクロシステムズ(以下、サン)はダイレクトマーケティング業務に特化した新会社を設立しようとしていた。本格的なダイレクトマーケティングは同社にとって初めての試みとなるため、この新会社で新しいビジネスモデルを開拓できる威勢の良い人材を探していたのだという。そこで白羽の矢が立ったのが、ちょうどそのころ新規事業に次々と切り込んでいたバイテル・ジャパンで社長を務めていた細井氏だったというわけだ。

 ときに1992年。日本国内ではバブル景気が崩壊し、その後の長い低迷期「失われた10年」に突入しつつある時期だった。しかし、世界の状況に目を転じてみると、IT業界ではUNIXのオープンシステムが急速に台頭し、UNIXワークステーション市場が活況を呈しつつあった。

 当時サンはこの市場で急成長を遂げ、幾多のベンダがしのぎを削ったいわゆる「UNIX戦争」で、早くも頭一つ抜けた存在となっていた。細井氏の目に当時のサンは、オリンピック級の舞台に出て行くには格好の魅力的な会社に映ったに違いない。「サンでダイレクトマーケティング、面白そうじゃないか!」

 こうして1992年11月1日、細井氏はサンに入社する。その前日までバイテルでの引き継ぎ業務に忙殺されていたにもかかわらず、入社日には米国ボストンに飛び、サンでの業務内容についての説明を受けた。当時サンは、業務セクタごとに会社を分割して運営していた。その中で細井氏が入社したのは、米国ボストンに本社を置き、サンのワールドワイドにおけるダイレクトマーケティング業務を統括する「Sun Express」(サン・エクスプレス)という会社だった。

 当時、サンの主力製品はワークステーションだったが、その裏ではサーバ市場に本格的に打って出る計画が進行していた。サーバ市場に進出するためには、サーバのエンドユーザーについてより良く知る必要がある。しかし当時のサンは、パートナー企業や代理店を介した間接販売が主たるビジネスモデルだった。これでは、エンドユーザーのプロファイルを直接取得することができない。かといって、直接販売ビジネスを大々的に展開しては、パートナー企業を敵に回すことになってしまう。そこで、直接販売とは違うやり方でエンドユーザーを発掘するために設立されたのが、サン・エクスプレスという会社だったのだ。

 同社は、アメリカとヨーロッパ、そして日本に支社を置いた。細井氏は日本支社のコーポレートディレクター、いわゆる支社長として同社に招かれたのだ。当時細井氏は38歳、サン社内では最年少のコーポレートディレクター誕生ということで、ちょっとした話題になったという。

 ちなみにサン本体は、米国西海岸のシリコンバレーに本社を構えていた。にもかかわらず、わざわざサン・エクスプレスの本社を東海岸マサチューセッツ州のボストンに置いた裏には、同社の会長スコット・マクネリ氏の計算があったという。

 1992年は、マサチューセッツに本社を置く大手コンピュータメーカー「ワング・ラボラトリーズ」(以下、ワング)が倒産し、さらに同じくマサチューセッツ州に本拠を構えるDEC(デジタル・イクイップメント・コーポレーション)が、経営不振で大量のレイオフを実施した年だった。そこで、ワングやDECの優秀な人材、特に営業やマーケティングの人材を吸収する受け皿として、ボストンにサン・エクスプレスの本社が設けられたのだ。事実、細井氏によれば「社内には、ワングとDECの出身者が本当に多かった」という。

 ちなみに細井氏はボストンからの帰路、西海岸にも立ち寄り、当時サンに所属していたエリック・シュミット氏(現Google CEO)とも対面している。

 「ドアを開けたら、彼に『ちょっとだけ待ってくれ、今ちょうど最終段階なんだ』と言われてね。何の最終段階かと思ったら、PCを組み立ててる最中だったんです! いやあ、彼は本当に面白い人物でしたねえ」

 こうして帰国し、いよいよ日本でダイレクトマーケティングの新ビジネスを立ち上げようと思った矢先、意外にも細井氏に対して向けられたのは、サン日本法人社員からの疑念に満ちたまなざしだった。

 「細井さん、あなたはわれわれの敵なのですか? それとも味方なのですか?」


 この続きは、2月21日(月)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


「挑戦者たちの履歴書」バックナンバー

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ