――佐野実さんが築き上げたものを守っていくのは本当に大変なことだと思います。一方でコロナ禍の影響によって20年のラーメン店の倒産件数が過去最悪だったというデータもあります。支那そばやは影響を受けましたか。
昨年の緊急事態宣言時には、テークアウトも一時期やっていました。でも、何でも売ればいい、出せばいいということじゃないなと考え始め、コロナ禍という時期だからといって、今まで守ってきたものを手薄にしたくないと思い、すぐやめました。テークアウトはやめてしまった一方で、お店のラーメンをそのまま冷凍にした通販は今でもやっています。
――ずっと本店だけで「ラーメンの鬼」の味を守り続けていたものを、このような形で東京駅に出店することには葛藤もあったと思います。
実は、コロナ禍前、20年お世話になった新横浜ラーメン博物館の卒業が決まったころから2号店を出店する計画そのものはあったんです。今でも田園都市線沿線の世田谷区を中心に、2号店にふさわしい物件探しは続けています。ただ、時期が時期なだけに物件も人手も見つからない状況が続いています。
都内に出店することは、実は佐野の生前の夢の一つでもありました。佐野も、「支店を出すなら二子玉とか世田谷あたりだな」と言っていたので。そういう意味では、東京駅に出店することは、どれだけ支那そばやのラーメンが東京で通用するのか試してみたいことと、私どもの勉強になると思いチャンスだと思いました。
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