“若大将”に憧れて慶応を目指すも敗退……挑戦者たちの履歴書(77)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、ジュニパーネットワークス社長の細井洋一氏の中学生時代までを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2011年01月24日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 小学4年生のときに初めてスキーと出会い、すっかりその魅力の虜になった細井氏。そんな同氏が少年時代に夢中になった映画が、加山雄三主演の『アルプスの若大将』だった。当時、若者たちの間で絶大な人気を誇った加山雄三がスキーを題材として取り上げた映画とあって、細井少年が飛び付いたのも無理からぬことだった。

 「映画の中の設定では、加山雄三演じる主人公は『京南大学』のスキー部に所属していたんです。そこで僕も、『将来は、加山雄三のように京南大学に進学してスキーをやるんだ!』とずっと思ってたんです」

 ところが、この京南大学というのは、映画の中にしか存在しない架空の大学だ。実際には、加山雄三は慶応義塾高校から慶応大学に進学している。細井少年がこのことを初めて知ったのは、もう中学生活も終わりを迎えようとしているころだった。当時の細井少年は、このとき「だまされた!」と叫んだという。でももう、こうなったら慶応に行くしかない。

 「当時はもう、加山雄三と同じ慶応に行くことしか考えてなかったから、進路相談で先生に『慶応に進学したい』と言ったら、『ばかなこと言ってるんじゃないよ!』と一笑にふされました。何せ、勉強なんてまったくしてなかったからね」

 このような状況だったため、高校受験までもう時間がなかったが猛勉強を始めた。母親のつてで、慶応志木高校の教師を紹介してもらい、勉強を直接教えてもらうために埼玉の志木市まで通った。しかし、さすがに時すでに遅しだった。慶応高校を受験したはよいものの、結果は案の定不合格。

 結局、都立竹台高校に進学した。高校の同級生には、現在タレントや俳優、画家として活躍している片岡鶴太郎がいたという。

 「中学校は九段中学という進学校に通ってたんですが、竹台高校は一転してやんちゃな生徒が集まっている学校でしたね。2年生のときの修学旅行で、皆でこっそり隠れてタバコや酒をやってたのがばれて、何と男子生徒のほとんど全員が謹慎をくらいました。でもまったく懲りることなく、『謹慎のおかげで学校に行かずに済む、やったー!』って皆で喜んだりしてね!」

 こんな環境の下、細井氏生来のやんちゃ坊主ぶりが遺憾なく発揮された高校時代。いまだに、当時の同級生とは定期的に会って、昔話に花を咲かせているという。ただし、これまでとは異なる点が1つだけあった。細井氏はここで生まれて初めて、勉強にまじめに取り組み始めるのである。全ては憧れの加山雄三と同じ、慶応大学に入学してスキーに打ち込むためだ。

 「中学時代から引き続き慶応志木高校の先生の下にも通って、高校3年間みっちり勉強しました。それに、『あの有名な九段中学から来た』という目で周りから見られると、意識して『あ、勉強しなくちゃいけないのかな』なんて思ったりしてね」

 その結果、成績は常に学年で上位一桁をキープ。「何だ、やればできるじゃないか!」。細井少年は、夢の慶応大学入学に向けて自信を深めていった。

 その一方で、スキーにも相変わらず打ち込んでいた。細井少年のアイドル加山雄三は、慶応大学在学中に国体にも出場したことがある、れっきとした競技スキーヤーだ。きっと当時の細井氏の頭の中では、映画の中で華麗なシュプールを描く加山雄三の姿が常にイメージされていたに違いない。

 ちなみに、1年生のときには野球部にも所属していた。しかし、きつい練習が嫌で嫌で仕方がなかったという。

 「今では考えられないけど、当時は真夏の炎天下の練習でも、水を飲んではいけなかったんですよね。倒れて口の中に砂利が入ったとき、それをゆすぐついでにこっそり飲めるぐらいで。それが嫌でねえ」

 そんな折、細井氏は人生の転機となるイベントを経験する。大阪万博だ。


 この続きは、1月26日(水)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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