第1回 4月26日、僕の退職がニュースになった小牟田啓博のD-room

» 2006年06月30日 12時42分 公開
[小牟田啓博,ITmedia]

 はじめまして。小牟田啓博と申します。この度、「小牟田啓博のD-room」という日記風の連載を綴って行くというご縁をいただきました。どんなことになっていくのか、まったく見当もつきませんがよろしくお願いします。

 さて、第1回として今回は“僕の退職がニュースになった”をテーマにしてみたいと思います。それは、今までに経験をしたことのない驚きの1日でした。

 その前に簡単に自己紹介を兼ねて、僕のプロフィールなどを。多摩美術大学でプロダクトデザインを学んで1991年に卒業し、その年にカシオ計算機に入社しまして、カシオでちょうど10年インハウスデザイナーとして修行(?)をさせていただきました。そして10年の経験の後、KDDIのauケータイのデザインに携わるというご縁をいただき、ケータイ一色の生活を5年ほど送ってきました。

 もともとKDDIに移籍するときに、なんとなく僕の中で5年くらいかなという漠然としたイメージがありました。そして5年後、個人の会社設立というタイミングと環境が整い、KDDI退職を決意したのです。

 そんな最中、まだ在籍期間中のある日にですよ、方々からメールがたくさん入ったんです。「コムちゃん(僕です)、会社辞めるんだって!?」って。僕にしてみれば「はぁ!!??」という感じですよ。「なんで知ってるの!?」と。状況が理解できず、au design projectで一緒だったスタッフに確認のメールを入れたんです。僕はずっと外出が続く日々でしたので、「俺が辞めるって、ニュースになってるの!?」って。そうしたら彼、「はい、ITmediaに出てて、Yahoo!JAPANではトップに載っていますよ!」というんです。

 会社の社長でもない、ただの社員である小牟田の退職がニュースになるなんて! と驚きいっぱいで自宅に戻ってWebを見てみると、確かにニュースになっていました。家内にも、知人や親戚から連絡が入ったらしいですし。

 正直、僕は「そっとしておいて欲しいのに」というのが本音でしたけどね。

 さらに、個人ブログを見てみると、せいぜい1日のヒット数が200件前後だったものが、なんとピークの1時間で2万2000件を超えるヒット数があるじゃないですか。ピーク4時間程度の合計が5万件を軽く超えるアクセスが。これにはただただ驚くばかりでしたね。そして、ネットメディアの力の大きさを痛感させられました。歓迎し辛いトラックバックもこの日を境に激増するというお土産つきでしたけどね(笑)。

 後日聞いた話で、義母のところにもたくさんの親戚から問い合わせがあったらしく、「よっちゃん(僕のことです)って、そういう仕事してたのねぇ!」とか、「ただの酒飲みかと思ってたら、すごい仕事してんだな!」みたいな問い合わせが入ったそうです。「芸能人のマネージャーみたいだったよ!」と、そのときの様子を話してくれました。

 ここまでは、世の中凄いなぁ! という現象としてしか捉えていなかったのですが、僕がもっとその力の大きさを実感したことがあります。

 確かに以前から、雑誌や新聞、テレビで僕のやってきたデザインの活動を取り上げていただいたことがたくさんありました。読売新聞さんに取り上げていただいたあとなどは、同窓会にその記事の切り抜きを持参してくれた友人もいたり、テレビ番組や雑誌で取り上げていただいたときには仕事でご一緒した方たちから「見ましたよ!」と声を掛けられたり……。それぞれのメディアの影響力をとても感じてはいたのですが、ネットの力の凄さを実感したのは、何よりそのレスポンスの違いでした。

 それは、大学時代の友人や、仕事でお世話になった方々から「ご苦労さま」という温かいメールをいただいたこと。卒業以来20年ぶりになる高校時代の友人からも、久しぶりに連絡があったのです。これは本当に嬉しかったですね。それと同時に、ニュースで僕のことを知った旧友たちが、僕のブログを探し出すなどあらゆる手段を駆使して、僕のメールアドレスに連絡をくれたことです。これにはすごく胸が熱くなりました。

 高校時代の地元で、20年も会っていない同窓生の何人もから、「コムちゃん、がんばってるんだね!」とメールが届いたんです。この嬉しさは格別でしたね。大学時代や仕事つながりの方々というのは、少なからず僕がデザインに関わっているということを知ってくれています。でも、高校時代の友人というのは、決して真面目とはいえない僕のやんちゃな姿を知っていて、社会人になって、デザインに携わっているかどうかさえ知らないはずだからです。

 「ビッグになってやる!」とか、「青山で仕事したい!」とか、そんな稚拙な表現で自分の将来を語っていた当時の僕は、そういいながらもまともにガッコーに行かないみたいな(笑)。そういったすべてを見てきた友人たちが「コムちゃんがんばれよ!」とか、「でも無理するなよ!」「スゲー頑張ってるんだね、俺たち地元の誇りだ!」とエールを贈ってくれたのです。めちゃめちゃいい話だと思いませんか!?

 そんな同級生たちとメールで再会を果たして、近況報告なんかをやりとりしていると、主婦をしている友人はご主人の地元の酒屋に嫁ぎながらも、カメラマンをしたりライターをしたりとエネルギッシュな活動をしていたり、一方でサッカーが上手くて高校のヒーローだった友人は、ボクシングと仕事を両立させて20年を経た今もオトコに一段と磨きをかけていたりと、それはそれはみんなパワフルに生きてるヤツがいっぱい。それも地元でまわりにいたのだと気付かされました。

 如何でしたか? こうしたネットでのつながりが一気に噴き出したようで、今回それを体感した僕はすごくうれしく思いました。一方でこういった環境をとても素晴らしいことだと感じるのです。僕の退職がニュースになったことが切っ掛けで、こんな経験ができたのですからね。

 僕はモノ作りの世界で生きてきて、すごいデザイナーやエンジニアの人たちに囲まれた流れの中にいるわけですが、それこそ日々がエキサイティングの連続なんです。毎日「プロジェクトX」みたいな(笑)。

 さぁ、これからもっともっと、世の中が面白くなるようなモノ作り目指して頑張ります!!

 押忍

PROFILE 小牟田啓博(こむたよしひろ)

1991年カシオ計算機デザインセンター入社。2001年KDDIに移籍し、「au design project」を立ち上げ、ブランドコンサルティングを通じて同社の携帯電話事業に貢献。2006年幅広い領域に対するデザイン・ブランドコンサティングの実現を目指してKom&Co.を設立。国立京都工芸繊維大学特任助教授、武庫川女子大学非常勤講師。


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