東京・秋葉原で無差別殺傷事件が起きた3日後、参議院で「青少年ネット規制法」が成立しました。当然というかなんというか、テレビでの報道は主にPCではなくケータイの規制に重点が置かれていた……ように映りました。僕の目には。
「もうこれは決定的かもしれない」
ネットやテレビでニュースを見ながら、打ちひしがれたような気分でそう思う自分がいました。何が決定的かといえば、それはもちろん「ケータイ」イコール「いかがわしい」の構図が不動のものになってしまったということが、です。
事件の容疑者が「ケータイ依存症だった」的な報道には、言いたいことが山ほどあります。なんて一面しか見られない人たちなんだろうと呆れます。そして、酒鬼薔薇世代なんていう安易なレッテルを貼り、しかもテレビという無差別放送メディアで、茶の間に、朝っぱらから、断りもなく、一方的な見解を撒き散らしている人たちには、呆れることすらできず、ただただ理解不能と立ち尽くすしかありません。大学で「新聞学」を専攻していた自分としては、悲しみすら湧き上がります。
ですが、そのような話を、+Dという媒体で、こんな底辺の僕が吼えても仕方ない。このコーナーで求められている役割を全うしましょう。今日のお題は、根深く、拭い去りようのないレッテルを貼られてしまった、ケータイサイトの行く末についてです。
学校“裏”サイト、“闇”サイトなどなど、あらゆる言葉でいかがわしいレッテルを貼られまくってしまったケータイサイト。ITmedia Newsに掲載されていた「報道が『学校裏サイト』を増やした 削除依頼の実態は」という記事のとおり、過剰報道による「社会への悪影響」は酷く気になりますが、一方で、ケータイ業界で仕事をする者としては、「ビジネスへの悪影響」も気になります。それどころか、脅威すら感じている次第です。
この脅威は、2000年に吹き荒れた迷惑メールを思い起こさせます。出会い系殺人が注目を集め始めた当時、迷惑メールの多くが出会い系の勧誘だったこともあり、「知らない人・会社からのメール」イコール「すべて迷惑メール」という図式が、瞬く間に広がっていきました。
それどころか、そもそも「広告」イコール「迷惑だ」という図式すら広がっていったように思います。あのころはまだパケット定額制がなく、数バイトのテキスト広告であっても見た人に料金負担を強いるという時代でしたから、確かに広告は迷惑ともいえましたが……。
それにしても、そのイメージの広まりは強烈でした。迷惑メールが社会悪となっていくなか、ケータイ上でのまっとうな広告枠であっても同一視されてしまうような状況が生まれていきました。そして、いつしかケータイサイトのバナーからはナショナルクライアント(テレビや新聞などのマス向け媒体を含め大規模な広告を出稿する大企業)の名がなくなっていくのです。
当時はまだ、大規模なケータイサイトを広告モデルのみで運営しようとしていた会社も多かったと思います。ですが、こうしたイメージの悪化は、各サイトに回復しようのないダメージを与えたものです。事業を断念した企業も数多くありましたよね……。あぁ、涙が。あの人何してるかしら。
かくして、すっかり「いかがわしい」のイメージが定着したケータイ世界では、健全で安全と思われる「公式サイト」のみがビジネスの場となっていき、開かれたケータイネットが、社会的にも肯定的に捉えられるようになるまでに、長い時間がかかることとなったのです。
いや、もちろんそんな厳しい状況の当時でも、果敢に一般サイトでビジネスに挑戦し続けた企業は、ありましたよ。そして、そこでその後の成功につながる独自のノウハウを築いていったサイトも多々あります。どれも、好奇心旺盛な若者をターゲットとしたサイトではありますけれども。
話が脱線しました。元に戻しましょう。2006年の番号ポータビリティ(MNP)開始と前後して、各社のポータルに検索窓が設置されていき、今年に入るとあのお堅いNTTドコモ様ですら、iメニューの第一階層にGoogleの検索窓を置くようになった現在のケータイインターネット。
その流れの絶対的なベースは、ケータイインターネットの失地回復(または過去の忘却)にあると思っています。そう思う自分にとって、またしても「ケータイ」イコール「いかがわしい」という世論形成がなされてきているここ最近の流れは、怖くて仕方ないというか、ほとんど恐怖の対象といっていいものなのでございます。
青少年ネット規制法が成立する約1時間前。10時からの打ち合わせにちょっとだけ早く到着した僕は、ソフトバンクモバイルのYahoo!ケータイを何の気なしに開きました。暇つぶしのためです。
オススメと書いてある欄には、「決めた? 父の日プレゼント」とあり、まだ父の日のプレゼントを用意していなかった自分は、病気療養中の父を思いながらそこをクリックしました。そして現れた次のページには、プレゼントランキングのほかに、「感謝のメッセージを送る」というリンクがありました。「無料のデコメでもあるのかな」と思い、そこを押した僕の目に飛び込んできたのは……。
「いもうと遊戯」という、派手派手しいバナーの下に記された、「家族・おとうさん」という文字の滑稽さといったらもう。この絵ヅラで、“Dad, I love you.”っていわれても、「ちょwおまw」と思わずにいられません……。
もちろん、これは悪い偶然、つまり父の日特集とランダムバナーの偶然が、悪い方向で重なっただけに過ぎないとも言えます。が、しかし。これを見たとき、ちょっと背筋が寒くなったというか、なんというか、「あー、ケータイサイトってやっぱ終わってるな」と思いました。正直にいって。
これだけメディアで青少年ネット規制法の話が喧伝され、秋葉原・無差別殺傷事件に絡めた「ケータイ依存症の恐怖」が語られているというまさにそのときその瞬間に、なんでこんなデリカシーのない事態が生まれてしまうのかなと。「ランダム表示だから仕方ないじゃん」という言い分けはナシの方向でお願いしたいです、ソフトバンクモバイルさん、ヤフーさん。
「こいつなんかすっげー保守的だな」と思うかもしれません。しかし、ケータイコンテンツ業界の課題は、「保守的な人が、いかにケータイを有意義に使ってくれるようになるか」だと思っているので、あえてこんな話をしている次第です。さまざまなメディアで「ケータイは悪事の温床になっている」と報道され、悪いレッテルを貼られまくっているいま、このままでは保守的な人たちが、ますますケータイから離れていってしまいます。
そんなの放っておけばいい? 使っている人にだけアプローチすればいい? 確かにそうかもしれません。ですが、若年層は無料サイトでパケット代が上限にまで張り付いているのですから、そこの利用をこれ以上伸ばしてもキャリアさんはあんまりおいしいことないでしょう? 公式コンテンツプロバイダ(CP)さんだって、お金のない若年層をこれ以上狙っても仕方ないんじゃないでしょうか。そして、20代半ばから30代前半の、すでによく利用している層を奪い合っているような現状をこれ以上続けていても、先が見えないんじゃないでしょうか。
迷惑メールによってつぶれかけたケータイ広告メール市場という土壌を、長い年月かけて新たな芽が育まれるまでに再生したように、「ケータイ」イコール「いかがわしい」というイメージが固定化されてしまった今、業界はケータイサイトの安全性、信頼性回復に、正面から取り組まねば先がないのでは? と思っています。これは未成年フィルタリングだけをすればいいという話じゃありません。
ひょっとしたら、大人に対してもフィルタリングが必要なんじゃないでしょうか。「いもうと遊戯でDad, I love you.」を目撃してしまった自分は今、そう思わずにいられません。
迷惑メール対策の設定画面を見ると、細かい設定を自分でしなくても、ブロックの強さを3段階で選べるようになっていますよね、最近は。例えばドコモなら、
という3つを選択できるようになっています。
この考え方、インターネット閲覧全般にも適用できないものでしょうか。
子ども向けは未成年フィルタリングの話で進めてもらうとして、それとは別に、大人向けにも有害サイトや広告バナーをカットする機能がほしい。もう絶対ほしい! と思うわけです、自分は。エロサイトをどうしても見たい! というときは、その機能をオフにすればいいし。
そうすれば、危険なサイトで何かあっても、「それは自己責任です」という至極まっとうな感覚を、ユーザーの中に育むことにもなるんじゃないかなとも思います。自己責任の範疇が曖昧なケータイサイト問題……というテーマもあるので(それはまた別の機会に)、余計に大人フィルタリングがほしい。まあ、広告バナーのカットなんて、どこのキャリアさんでも絶対に実現してはくれないでしょうけど……。
「いかがわしい」のレッテルを貼られてしまったケータイサイトの失地をどう回復するのか。子どもたちのケアはもちろん重要ですが、それだけでは覆い隠せない問題がそこにあると思うのです。それに、このままでは、いつまでたっても、「俺、ケータイサイトの仕事してるんだ」と、胸を張って親に報告できません。いつかそんな日が来ることを切に願います。
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