4月1日で50周年、半世紀という大きな節目を迎えたApple。同社の名前を聞くと、誰もがすぐにあの一口かじられたリンゴのロゴマークを思い出すだろう。かつてスティーブ・ジョブズ氏がナイキ、コカ・コーラやソニーと同じくらいに親しまれていると呼んだロゴマークだが、創業直後の1976年当時は、全く違うものだった。
Appleの創業者といえばビジョナリーのスティーブ・ジョブズ氏と天才エンジニアのスティーブ・ウォズニアック氏の「二人のスティーブ」だと思っている人が多い。しかし、実はもう一人、2回りほど年上のロン・ウェイン氏という共同創業者がいた。
社会人経験が長く、事業化の細かい作業やApple Iのマニュアル作りも担当したが、最も有名なのは「Apple Newton」の愛称で知られる同社創業時の幻のロゴを制作したことだ。
創設時のロゴ「Apple Newton」。リンゴの木の下で本を読むアイザック・ニュートン氏の絵で、額縁には「ニュートン、彼の心は永遠に見知らぬ思考の海を漂う。たったひとりで」というウィリアム・ワーズワースの詩の一節が書かれていた。この時代、IBMやATARI、Microsoftといった他のコンピュータメーカーのロゴはいずれも無機質な文字だけのものだった。ビートルズやボブ・ディランを愛するヒッピーが生み出したAppleは、創業の時点からテクノロジーとリベラルアーツの交差点に立ち、他社とは一線を画していた。
Appleは、この視座があるからこそ、どの時代、どの技術環境においても、他のテクノロジー企業とは一線を画していた。50年の歴史をひもとくと、時代が変わっても変わらない同社の気質の本質が見えてくる。
Appleの法人化は1976年4月1日だ。それから3カ月後に最初の製品である「Apple I」を世に送り出した。
当時はメインフレームと呼ばれる冷蔵庫ほどの大きさのコンピュータが主流で、複数人でネットワーク接続したダム端末(文字入力のキーボードと文字表示のディスプレイ)という機械を使って共有して使うのが当たり前だった。
今日、我々がサーバ型の生成AIなどを他の人たちと共有する形で、ブラウザ経由で使っているのに似ている。
1974年4月に、日本人の嶋正利氏も関わった世界初の安価で小型なプロセッサ「Intel 8080」が発表される。これにより安価で小型なコンピュータ開発が可能になる。
それを受けて1975年にはいち早く「Altair 8800」(MITS)、「IMSAI 8080」(IMSアソシエイツ)といった個人用コンピュータ製品が出てきた。
自宅の机の上に置き、一人で占有できる板金で作られた箱型の製品だった。正面に20個近いオン/オフのスイッチと数十個の赤色LEDが付いており、これらのスイッチで2進数のプログラムを入力すると、それに反応してLEDが異なる点滅パターンで応えるというものだった。
使いこなすには、かなりの知識や習熟が必要だった。「こんな技術が出てきたので、とりあえず作ってみました」という製品でマニアの間では評判になった。
Apple Iの登場はそれから1年遅れで、その代わりキーボードを用意し、家庭用TVをディスプレイ代わりにつなげば文字の入力表示が可能だった。それでいて価格は666.66ドルだ。
この安さを実現できたのは、MOSテクノロジーの「6502」という任天堂の初代ファミコンと同じプロセッサを採用したことにある。Intel 8080の価格は350ドルほどだったが、6502は桁違いに安い25ドルだった。そんな安価なプロセッサでも、天才エンジニアのウォズニアック氏が能力を引き出すことで、他社製品よりも優れた使い心地を実現していた。
ただし、モノとしての作りはお粗末で、ただの裸の電子基板であり、合計200台ほどしか売れなかった幻の製品だ。
そんなAppleは、そこからわずか1年で大きく進化する。ジョブズ氏はマーケティングを学び、6色のロゴマークを生み出す(版ズレが起きる可能性が高く、印刷が大変で最もお金がかかるロゴと言われた)。
次のパソコンはキッチン家電のように親しみが持てる外観にしたいと、デザインコンサルタントのジェリー・マノック氏にボディーデザインを依頼した。後に多くのメーカーが模倣することになる1977年の「Apple II」はこうして誕生した。
Apple IIは大ヒットとなり1980年までに10万台が売れ、株式公開したAppleはフォード・モーター以来、最も急成長したアメリカ企業としてその名をとどろかせた。特に「disk II」というFDD(フロッピーディスクドライブ)の登場以降、元祖表計算ソフトの「VisiCalc」をはじめ、印刷ソフト「THE PRINT SHOP」、各種ゲームなど多彩なアプリケーションが誕生している。
世界中にソフトハウスが生まれ、「ロードランナー」や「チョップリフター」といった名作も生まれた。Apple IIシリーズはさまざまな派生モデルを経て、1982年頃に累計100万台を突破してピークを迎えた。
Apple IIの雑誌広告(1977年)。美しいベージュのボディーにキーボードを内蔵し、家庭用TVにつなぐだけですぐに使えた。FDDやカセットテープレコーダーはオプションだったが、それさえあれば表計算やワープロ、ゲームと用途は無限に可能性が広がった。多くの世界初のソフトがここで誕生しており、世界で初めてのリビングルームに置いて使える見た目のコンピュータと言っていいかもしれない
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