ちょうどそれと時を同じくして、2つの技術的イノベーションも起きていた。
1つはAppleのQuickTimeという技術で、動画表示の技術と思われているが、元々はあらゆるタイムベース(時間軸で変化する)データを扱うための技術で、動画はもちろん、字幕や楽器の制御(MIDI)なども扱うことができた。
1991年に技術が出てきた直後には、QuickTimeを使って博物館展示用に恐竜の姿をしたロボットを台本通りに操るというデモも行われていた。
もう1つの技術革新は、CD-ROMという読み取り専用の新しいメディアだ。当時のFD(フロッピーディスク)はちょうど容量が800KBから1.4MBへと飛躍的に容量アップをしようとしていた時代だが、これに対してCD-ROMには650MB――何とFD460枚分以上の情報を詰め込むことができた。まだインターネットも高速通信もない時代、CD-ROMを使えば高解像度の写真や高音質な音、地図データなどに直接アクセスして調べ物などができるようになったのだ。
Appleは1992年、箱根で開かれた箱根フォーラムというイベントで富士通などの日本メーカーと共にパソコンへのCD-ROM搭載を確約し、文字/画像/動画/音/インタラクティブコンテンツなど、さまざまな情報を扱えるマルチメディア技術の普及に努めるという宣言を行う。
こうして、その後、CD-ROMの膨大な容量を生かしたインタラクティブコンテンツが次々と作られた。特に人気を集めていたのがゲーム系で、かなり凝ったグラフィックのSF超大作アドベンチャー「Spaceship Warlock」などに代表されるCD-ROMゲームが次々と作られていた。
Spaceship Warlock(スペースシップワーロック)。初期のCD-ROMゲームの雛形を作ったスターゲームメーカー、マイク・サエンツ氏とジョー・スパークス氏の合作による人気のスペースオペラアドベンチャーゲームだ。多くの人が難しくて解けないと言っていたゲームだったが、筆者も雑誌にレビュー記事を書くためプレイしたところ、4時間ほどであっけなく解いてしまった苦い思い出がある。その後、作者の二人は数々のCD-ROMゲームタイトルの予告編を作り、多くの出資を受けるが、そのまま仕上がらない作品も多かった1本1本のゲームが映画と同じような大掛かりな組織で作られるようになり、映画制作並みに莫大なお金がかかっていたが、そうしたCD-ROM開発を支えていたのが、バブル真っ盛りの日本の企業たちだった。
次回作はこんな構想で、こんなグラフィックでといった凝った予告編映像を見せられては日本企業が莫大なお金を投資して、その開発を応援した。しかし結局、完成せず幻に終わったタイトルも少なくない。
そんなCD-ROMタイトルの状況に人々が不満を漏らし始めていた頃、米国や日本でインターネットを政府や学術機関以外の一般の人でも利用可能にするインターネット商用化の流れが出始める。
当時の電話回線でのインターネット接続は、14.4Kbpsと現在の1Gbpsの光ファイバーと比べて7万分の1くらいの遅さだったが、1993年にはMac用初のWebブラウザ(NCSA Mosaic)も登場しており、テキスト/画像/動画/音声などが混じったマルチメディアの情報をリンクをたどりながら、次々と表示させることも可能になり始めていた。
その後、まだCD-ROMに比べて大容量データが苦手な当時のインターネット接続に合わせて、より小さなサイズで軽快にインタラクティブなコンテンツを作ることができる「FutureSplash Animator」という技術が出てきた(後のFlash)。この技術をその後、何度かの合併と社名変更を経たマクロメディア(元マクロマインド、他が合併したもの)が買収した。
さらにそれをアドビが買収したことで、Web上でFlashという技術を使った面白いインタラクティブコンテンツが爆発的に増えることになり、それと入れ替わるようにCD-ROMは徐々に役割を終えていった。
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