あっさりと夢のシリコンバレー留学を実現挑戦者たちの履歴書(12)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、漆原茂氏がシリコンバレー留学を決意するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2010年06月07日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 沖電気工業株式会社(以下、沖電気)に入社して3年目、1989年に漆原氏は同社の支援を受けてシリコンバレーのど真ん中、スタンフォード大学のコンピュータシステム研究所に客員研究員(Visiting Researcher)として赴く。当時、同研究所は世界中の企業から派遣される研究員を多く受け入れていた。

 こう書くと、実にあっさりとシリコンバレー行きが実現したように聞こえるが、そこへ至るまでには幾多の困難があったに違いない。当然、あらかじめ難解な研究テーマについての論文を書き、厳しい審査をパスしなければいけないはずだ。一体、どんなテーマの論文を書いたのか?

 「うーん、正直なところ、何を書いたのか正確に覚えてないんですよね。確か、大規模分散コンピューティングにおけるマルチプロセッシング、みたいなテーマだったと思います。これがわたしのもともとの専門分野ですから。でもとにかく、『こんなことをやりたい!』といった内容を書いて送ったら、通っちゃったんです」

 漆原氏は、あっさりとこう答える。「幾多の困難を乗り越える、汗と涙のストーリー」を予想していたこちらとしては、ちょっとはぐらかされた格好。「でも、論文は英語で書かなくてはいけないんですよね」と食い下がると、

 「当然そうです。英語は決して得意ではありませんでしたから、論文の語学的なレベルはきっとひどいものだったと思います。でもその時は、やりたいことははっきり分かっていましたから、それを正確に伝えることさえできればよかったんです」

 なるほど。漆原氏はきっと、本当にこうしたことを苦労だとは思っていないのだ。人一倍高いモチベーションと行動力を持つ同氏にとっては、やりたいことがはっきり見えているのであれば、それを実現するための手段は「あくまでも手段」でしかなく、苦労や面倒だとは一切考えないのだろう。

 それに、「英語がどうこう」といったことは副次的なもので、本当にやりたいコンピュータの研究に比べれば、はるかに優先度が低い事柄だ。“物事に対して優先順位をはっきり付けて臨む”という同氏の信条が、こんなところにも表れているのだ。そもそも、いくら本人が「英語が苦手だ」とはいっても、筆者のような凡人が考える「苦手」に比べれば、きっとはるかにレベルが高いに違いない……。

 ところで、研究所ではなく、大学院に入って学位を取得することは考えなかったのか?

 「実は、それは会社側から固く止められていたんです。『向こうで学位を取ったら、お前はどうせ会社を辞めてしまうだろう』と。でも、学位を取るための勉強をしなくていい分、思う存分自由にできると思ったので、逆にとてもありがたかったですね。『じゃあ、友達100人作って帰ります!』みたいな調子で、日本を発ちました」

 こうして、スタンフォード大学コンピュータシステム研究所に客員研究員として赴いた漆原氏。スタンフォード大学およびその周辺のシリコンバレー地域は、多くのIT企業やベンチャー企業がオフィスや工場を構える、一大産業地帯として名を知られている。同氏が渡米した1989年当時もすでに、UNIXをはじめとするオープン系技術の最先端を行く企業や教育機関が集結していた。当然、漆原氏と同じような高い志を持った優秀な技術者や学生が、世界中から集まる場でもあった。

 その中でもスタンフォード大学は、カリフォルニア大学バークレー校と並んで、世界中の優秀な頭脳が集結する教育機関だ。漆原氏の周囲にも、さぞや優秀な人材が集まっていたに違いない。

 「本当に面白い人たちばかりでしたね。現在では名だたるIT企業のトップで活躍しているような人たちが、当時は周りにたくさんいました」

 教授陣も超一流の人材が揃っていた。例えば、当時漆原氏が師事したアヌープ・グプタ氏は、米マイクロソフトのバイスプレジデントを務めるまでになった。また、MIPSコンピュータの考案者の1人で、当時コンピュータシステム研究所のディレクターだったジョン・ヘネシー氏は、その後スタンフォード大学の学長になり、現在ではGoogleの社外役員も務める。フワド・トバジ氏は、コンピュータネットワークの分野ではまさにカリスマで、マルチメディア高速ネットワークの研究に多大な貢献をした人物だ。

 「そのほかにも、本で読んだことしかなかったすごい人たちがごろごろいて、びっくりした覚えがあります。本当に恵まれた環境でした」


 この続きは、6月9日(水)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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