帰国後、オープン系ミドルウェア市場を切り開く挑戦者たちの履歴書(15)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、漆原茂氏がシリコンバレー留学を終了するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2010年06月14日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 所属していた沖電気工業株式会社(以下、沖電気)の社内留学制度を利用し、1989年から1991年までの2年間、スタンフォード大学コンピュータシステム研究所に客員研究員として赴いた漆原氏。

 日本に帰国後、再び沖電気の仕事現場に復帰した同氏は、その後2000年に退職して独立するまでの9年間、本人いわく「非常にまじめに」仕事に取り組むことになる(この言葉の裏には、まだ若かったにもかかわらず、海外に快く送り出してくれた会社への恩義が含まれているのかもしれない)。

 帰国後の漆原氏は、まずどのような仕事に従事することになったのだろうか?

 「ありがたいことにスタンフォード大学に行かせてもらって、そこでいろんな方に育てて頂いた結果、身に付いたことが2つありました。1つは、世界の最先端のレベルを理解できたこと。そしてもう1つは、コミュニケーションに抵抗がなくなったことです。たとえ海外の名のある人物であろうと、しょせんは“同じ人間”、電話やメールで普通にコミュニケーションを取れることが分かった。じゃあ、こうして海外で学んだことを生かして日本で何かやるか、となりました」

 同氏が沖電気の現場に復帰した1990年代前半は、「ダウンサイジング」を掛け声に、業務システムの領域にUNIXワークステーションを中心とするオープン系技術が怒とうのごとく流れ込んできた時代。まさに、漆原氏がシリコンバレーで学んできた最先端のオープン系技術を思う存分生かせる環境が、日本でも整いつつあった。

 中でも沖電気は当時、他社に先駆けてオープン系技術にいち早く取り組んでいた。これには、自社製のメインフレーム機を持っていなかった同社特有の事情も関係している。

 他社がメインフレームによるソリューションを提案するような大規模な業務システム案件でも、自社メインフレームを持っていなかった沖電気は、好むと好まざるとにかかわらず、オープン系のソリューションを提案せざるを得なかったのである。漆原氏も当時の事情を振り、「当時の状況は、わたしにとってはむしろ好都合でした」と語る。

 こうして漆原氏は、業務システム案件のためにオープン系ソリューションを提供する任務に就くことになる。沖電気は事業部制をとっており、「金融事業部」や「公共事業部」など、顧客の業界別に事業部が設けられている。漆原氏が所属していた部署はこれら事業部からは独立しており、すべての事業部にわたって横断的にオープン系ソリューションのプラットフォームを提供するのがミッションだった。ここでいう「プラットフォーム」には、ハードウェア、OS、そしてミドルウェアの部分が含まれていた。

 サーバやワークステーションなどのハードウェアに関しては、すでに実績のある製品が市場に出回っていた。事実、沖電気は1992年、国内メーカーの中ではいち早く日本ヒューレット・パッカード(HP)とサーバ機器のOEM契約を結んでいる。そしてOSに関しては、UNIXがすでに成熟の域に達していた。問題はその上の層、すなわちミドルウェアだ。この部分のソリューションは当時、まだきちんと出揃っていない状況だった。

 「まずは、ミドルウェアをそろえる必要がある」。ミニコンの時代には自社内ですべて開発していたデータベースやトランザクション管理などのソフトウェアを、今度はオープン系製品でカバーしなくてはいけない。

 しかし、「ミドルウェア」と一言で言っても、その範囲は実に多岐にわたる。それこそ、当時名が知られていたありとあらゆるベンダの製品を、片っ端からかき集めてきた。オラクル、インフォミックス、Sybase、Tuxedo、DCE、Tivoli、DCOM……。漆原氏は、シリコンバレーで培った技術力とコミュニケーション能力を最大限に駆使して、各ミドルウェアベンダとの交渉に当たった。

 しかし、ミドルウェアの領域ではメインフレームにまだまだ一日の長があった時代だ。

 「お客さまも、当時のオープン系ミドルウェア製品については、『これはきちんと使えるかどうか、ちょっと怪しいのでは』と疑っているところがあって、事実、品質に問題がある製品もありました。こうしたものを、きちんと要件にマッチする品質まで押し上げるのが、日本の技術者の仕事のだいご味でした」

 いまでこそ、UNIXやWindowsのオープン系プラットフォームで業務システムを構築するのが当たり前の時代になったが、当時はまだ黎明期。さまざまな苦労があったに違いない。


 この続きは、6月16日(水)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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